若いのに偉いなあ。 | 奇は奇術師の奇

若いのに偉いなあ。

今朝の朝食

豆食いたくなったので、

納豆蕎麦と煮豆そしてとり大根。

マメに朝食作っているのだ。

 

こないだの」マジケでも思ったのだけど、

みんなネットや、小冊子で、

マジックについて、あれやこれや

いろいろ考察してる。というか、

立派な意見を発信してたりして、

偉いなあーと、関心。

 

元来、感性でマジックやっていって、

極端に口下手、文章下手な私なんかは、

立派な論理を組み立ててやってこなかったので、

そんな考えもあるのかあ、

若いのに偉いなあ。

それはちょっと違うでしょ。

などと、いろいろ思わされて刺激受ける。

 

けどね。

 

やっぱ、理屈だけになっているような気がする。

昭和生まれの親父からしたら、

あれこれ理屈を捏ねる前に実践しろよ。

ということになるのだよね。

それなりの実績を示した上で理屈を述べないと、

机上の空論になってしまう。

 

というか、

「理屈よりも、実践で示せ!」

このことなのである。

 

こんなけご立派な理論が蔓延してるなら、

もっともっと良いマジックが見れないといかんはず。

それが達成されていないということは、

みんな頭の中で組み立てているのだなあ。

 

もちろん、思想を持つことは大切。

考えなしの実践では、成長も発展もありえない。

ただそれらの理論を発信するには、

もっともっと経験積んでからで良いのではないか。

 

売れるにしろ、地に落ちるにしろ、

人生とパフォーマンスを、あれこれ折り合いつけて、

社会や組織や己自身と格闘して、

その上で絞り出した理論を構築してほしいのだ。

 

ひらたくいうと、

そんなこと発信するのには

まだまだ早すぎるのではないか。

このことである。

 

みんな、

自分の存在証明をしたいのだろうけども、

パフォーマンスに関わる人物が、

理屈だけの人物になっては仕方ない。

若いうちは演じることに集中するべきだろ。

 

この厳しい世の中で、

マジックのパフォーマンスで生きていくためには、

理屈だけでは無理なのだ。

 

マジシャンの生き方なんて、

それらはマニュアルで示せるものでないし、

各自が自分の経験から生み出すものなのだ。

実践を繰り返し、多くの挫折を乗り越えて、

己自身で構築していくものなのだ。

 

理屈述べるのは、私みたいに

歳とってからで良いのと違うか!

若いうちはとやかく言わず。

やったれ!

 

 

なんて偉そうにゆうてるけども、

私も20代の頃こんな同人誌作って、

理屈こねていたのだあ。

みんな同じだね。

 

京都レクチャー

よろしくお願いします。

 

OSMANDは16日です。

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