実はテーブルホップの第一世代 | 奇は奇術師の奇

実はテーブルホップの第一世代

時に1980年代のはじめ。

トン爺こと小野坂東氏の働きで、マイケル・アマーやダロー、

デビッド・ロスやマックス名人、といった

当時新進気鋭のクロースアップ・プレイヤーが多数来日して、

それまでとは異るクロースアップ・マジックのあり方を示してくれた。

 

それは今まで私の知っていた、アマチュアマジシャンの退屈なカードマジック

などとは、次元の違うエンターティメントを提供してくれたのである。

 

そして、当時アメリカ発行されていた『M.A.J』という冊子の日本語版が

トンさん、ヒロ・サカイ氏らの尽力で、マジックランドから発行された。

その冊子の中に、『レストランで稼ぐ』『契約を自分で』などの記事が掲載されていた。

これらの記事に、自分の将来を模索してしていた若き日の私は、

大いに後押しされたように思う。

実際のところ、当時は芸能社やイベンターを通すことを基本とした

日本マジックの仕事の取り方と、アメリカの個人主義的な営業戦略では、

かなり違いがあったのだけど、バブル景気に向かってイケイケの社会情勢が、

そのような点を改革していく勢いがあった。

 

そして、マリック氏の登場である。

関西の深夜番組からはじまったいわゆる超魔術ブームは、

クロースアップ・マジックに市民権を与えて、

マジックという芸能のあり方を根本から変えてしまったのだ。

 

旧対然とした宴芸色の強い手品や、寄席でのしゃべくり芸などは

古臭いものとレッテルを貼られることとなったのだ。

 

現在は、3周ぐらいして宴芸としての手品の復権を

強く訴えたいところなのだけどね。

 

ともかく当時はクロースアップが新しかった。

 

そして、特殊な舞台設備や設営を必要としないので、

様ざまなお店で、『テーブル・ホップ』という形の仕事が

行われることとなったのである。

 

まあ、いわゆる流しの芸。新内や演歌の文化があったわけだから、

この手のサービスは受け入れやすかったのだと思う。

 

デパートやマジックショップでディーラーのバイトをしていた私は、

クロースアップ・マジックを見せる経験(商品が主だが)を積んでいたので、

ホップの現場に出ることには抵抗は少なかった。

ただ、先人の例がないので、お店側も、マジシャンの方も、

どこまで、どのように、見せていくのが良いのか、まだまだ手探りの状況だったのだ。

だから、ウケるから調子に乗って、ひとつのテーブルで長々とやってしまったり、

カップルのデートの邪魔をこれまた延々としてしまったり、

お店側もよくわかっていないから、12時間連続ホップ、とか、

1000人の立食パーティーで、人の海の中を無理やリ回るとか、

無茶苦茶やってはいたのである。

 

そんな時に前期の『M.A.J』の記事や、

大阪の故:根本毅氏の発行されていた冊子が大いに役に立った。

 

さらにステージと違って、道具にそんなにお金はかからない。

稽古も自宅でできる。テーブルや大道具を持ち歩かなくて済む。

など、大変に楽に習得ができるのである。

 

そういうことで、著作にも書いたのだが、

若かりし頃の私は、今でいうパートタイマー・マジシャンとして、

調子に乗ってしまうこととなったのである。

 

マジックは目の前で見せられると、ウケる!

 

それはマジックの持つタネ仕掛けのおかげであるのに、

私は自分がいっぱしの芸人になったと間違いしてしまったのだ。

 

前にも本ブログでも書いたのであるが、

感違いでもなんでも、自信になったら、それはそれで強い。

私の場合、多くの芸能や芸人さんを観ていたので、

盲目的に信じられなかったのだが、それでも東京出てくるまでは、

やはり調子こいていたと思う。

 

そういうわけで、テーブルホップの黎明期から関わっているのだが、

その昔はホップでも、ギャラはきちんとした額をもらっていたのだ。

つまり、マジシャンがテーブル回ってくるというのは

特別なサービスであり、新地や祇園の特別なお店でないと体験できなかったのだ。

 

それが今やバイトどころか、自分でお金払って、チップで出演しているという。

まあね。どのような分野でも、数が増えてくれば、いろいろな輩が出てくるのだね。

この点、今の子たちはどう思っているのだろうか。昔を知らないから今が当然なのか?

 

さて、今やテーブルホップというのはマジックの仕事の中心分野になりつつあるのだけど、

居酒屋や大道芸などどこでも観られる庶民的な芸になりつつあるこの分野。

マジシャン側から考えたら、ここに将来は見えないと思うのだ。私は。

 

もちろん

『テーブルホッパー王に俺はなる』

というマジシャンが現れても良いのだけども、

還暦過ぎて、お店に雇われて、ホップやっているのも辛いと思うのだけどね。

新地や祇園の高級店ならともかくだ。

 

ホップや雇われのバーマジシャンは、やはりこれは金銭獲得のための手段のひとつであり、

そこで養った技術。エンターティナーとしての技能を生かして、己の真に求めるマジック。

その道の追求に生かしていく。というふうに考えるべきなのだ。

 

その追求していくべきものを『本業』というのだ。

『本業』があっての『営業』なのだ。

 

前にも書いたことだが、どうなのだろうかね。

 

 

 

今度の日曜日はOSMAND

 

 

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