何度も見たくなる演技 | 奇は奇術師の奇

何度も見たくなる演技

映像第一世代の私などは、

家庭にビデオDVDデッキが登場して以来、

映像作品や番組というものが生活の一部となっている。

 

だから、

 

好きな映画は、DVDを購入して何度も見てしまう。

仕事場のBGV(バックグランドビデオこんな言い方も古いか?)として

1日中再生してしまう。さらに、リビバル上映や、4Kリマスターなどがあると、

映画館まで出かけてしまう。DVD持っていてもなのだ。

トーキーになってからのチャップリンの作品や、黒澤明の全盛期の作品。

ショーン・コネリーの007。東宝の特撮映画や海外の古いSF映画など。

なんだか沢山のDVDが仕事場の書架を占拠している。

いまだに捨てられないVHSテープもあるけどね。

 

好きなテレビ番組やアニメも、

昔はレンタルしたものをダビングして、何度も何度も見ていた。

最近はネットで見ることができるので、昔程DVDを買うことも無くなったが、

お気に入りの番組は、手元に置いておきたくなるのだなあ。

スタートレックの各シリーズ(700話以上ある)。

テレビ版の攻殻機動隊2シリーズ。などはDVDで揃えたのだ。

 

それで、マジック はどうなのか?

 

テレビのマジック番組は昔はよく録画していたのだけども、

今世紀になってからは、録画どころか放送も見なくなってしまった。

さすがに自分の出ている番組は、制作サイドから映像送ってもらうけど、

近年は何度も見たくなる番組がなくなってきたのだなあ。

 

著作にも書いたが、クロースアップ中心になって、

番組の視点がマジシャンや、マジックそのものから、

それを見るタレントさんの方に移ってしまって、

面白くなくなってしまったのだ。

 

そうなってしまうと、

マジックで何度も見たくなる演技って、

種仕掛けがわからないからそれを解明する。

という軽薄な理由になってしまうのだ。

 

以前は決してそんなことなかったし、

種仕掛けに興味の無い私が見ていたのは、

トリック遊びやパズルでは無いのだ。

 

フレッド・カップスの演技などは、

種仕掛けが分かっていても、その見事な手裁きに、

それこそ惚れ込んでしまう。

意外な現賞に翻弄されつつも楽しそうな氏の表情。

それこそ何度も見たくなるのだなあ。

 

島田晴夫氏の傘からドラゴンなんて、

生の舞台はもちろん。

ビデオに録画したいろいろな番組の演技を、

それこそテープが擦り切れるほど観るというか、

一日一回は見ないと何事も手につかないほどの

島田晴夫中毒になってしまっていた。

 

その昔NHKで放送されたPCAM大会の番組などは、

ビデオに録画して、書き物仕事している時の

BGVとしてしょっちゅう流していて、

最後にノーム・ニールセンのフル手順が入っていて、

そこになると仕事の手を止めて、画面に見入ったものであった。

 

何度も見たくなるのはステージマジック多い。

 

それは、観客に左右されることなく表現として完成されているから。

と、いうこともあるのだけども、

演技の密度が凝縮されているのからではないだろうか。

 

照明、音楽、演技、衣装、さまざまな要素が、

表現すべき作品に向けて、トータルに構成されている。

何よりも、演技者自身のキャラクターが、

また観てみたいという気にさせるのだ。

そして、その演技者のもっとも得意とする手順。

長年手がけてきて、磨き上げられた作品は、

再度の鑑賞に耐えうるものなのだし、その中には、

マジシャン各自の芸に対する取り組み方や、

人生まで垣間見られるのである。

 

つまりは、見応えのある演技。ということ。

そこにはトリックだけではなくて、

マジシャンの人間そのものが現れていたから。

 

昔のステージには、そんな演技が多かったのだなあ。

 

まあ、昔の方が見ごたえのある演技が多かった。

と言ってしまうと、何でもかんでも昔が良かったと言う

『ノスタル爺』になってしまうのだけども、

これがまた、本当なのだから仕方ないなあ。

 

まだまだクロースアップは黎明期なのだね。

BGVで映像を流し続けたくなるような、

そんな見応えのあるクロースアップ・マジックが出現することを、

一番願っているのは、実は私なのだ。

 

 

おもち大好き。

フライパンにバター溶かして、弱火でゆっくり切り餅焼く

柔かくなったら、海苔巻いて、醤油と七味でいただく。

もう何個でも食べれる『悪魔のバター餅』なのだ。