中村吉右衛門の鬼平エンディング | 奇は奇術師の奇

中村吉右衛門の鬼平エンディング

昨日の朝食。焼きサバ、豆腐とワカメの味噌汁、煮豆、漬物

う〜ん、日本的な朝食だ。

 

さて、昨日に続いて、映像作品での音楽の話。

 

悲しいシーンに悲しげな曲。

嬉しいシーンに楽しげな曲。

というのがセオリーなのだけども、

わざと、悲しいシーンで楽しい曲をかけたり、

嬉しいシーンで、悲しい曲をかけて、

逆に感情を強調する手法があるとのこと。

 

当たり前の音楽の使い方よりも、その方が印象に残るのは確かだと思う。

下手するとチグハグになってしまいそうなところだけども、

パッと思い出すだけでも印象的な映画の名シーンがあるね。

 

人類滅亡を描いた往年の超名作SF『渚にて』(スタンリー・クレイマー/監督 1959年)で、

『ワルチング・マチルダ』をテーマ曲として使っているのが良い例。

 

『ゴジラ』(本多猪四郎/監督 1954年)でも、最後に海底下のゴジラに芹沢博士が

新兵器で挑むシーンに、伊福部昭氏はもの悲しい美しい音楽をつけていて、

コレまた。非常に印象に残る名シーンとなている。

 

SFのように絵空事とも言える映像に説得力を持たせる為には、

音楽による画像の補強が必要なのだとも言える。

同様に、それは時代劇にも言えるのだ。

そして、ミスマッチではないかと思う楽曲の使用が、

とんでもなくハマることがあるのだ。

 

あの『大江戸捜査網』(1970年〜テレ東)のテーマ曲。

このビッグ・バンドと時代劇のミスマッチ感が、殺陣のシーンですごい効果を上げていた。

落ち込んだときに聞くと、元気が出ること間違いなしの名曲。

 

『必殺シリーズ』(1972年〜TBS/テレ朝)のウェスタン調のBGMや、

中村主水のバラード調のテーマ曲。このシリーズは名曲揃い。

 

それで、鬼平犯科帳である。

 

二代目中村吉右衛門氏の『鬼平犯科帳』(1989年〜フジ)のエンディング。

なんと、ラテンバンドのジプシーキングスの楽曲を時代劇で使うなんて、

並大抵のセンスでは成し遂げることができないぞ。

作品の世界間から、視聴者の日常に戻っていく橋渡しとしての曲。

 

初期シリーズでは、中西龍さんの淡々としていながらも

味のあるなレーションから、流れ出すギターの音色。

完全に話が終わってからエンディングに移行するのではなくて、

話の途中からエンディンが鳴り出すのが良いのだなあ。

 

アニメ『シティハンター』(1987年〜日テレ)のGet Wild方式

と言ったらわかりやすいかな?

 

日本の四季の風景とラテンギターの楽曲がミスマッチと思いきや、

なんとも心地良い。この映像も拍手ものだなあ。

 

この感覚、本当にすばらしい。

私も、舞台の音楽には、相当気を使うのだけども、

こういう見事な感覚の作品を見ると、大いに刺激を受けるし、

勉強になるのだ、

 

まだまだ学ぶこと多いなあ。

 

 

一部は満席です。二部もあと少し。

 

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