![](https://i.ytimg.com/vi/8hrBEks4Quk/hqdefault.jpg?sqp=-oaymwEmCOADEOgC8quKqQMa8AEB-AGaBIAC6AKKAgwIABABGFogZShXMA8=&rs=AOn4CLCMJQACOJvpfDqF8MKJWT0OppAZxw)
中村吉右衛門の鬼平エンディング
昨日の朝食。焼きサバ、豆腐とワカメの味噌汁、煮豆、漬物
う〜ん、日本的な朝食だ。
さて、昨日に続いて、映像作品での音楽の話。
悲しいシーンに悲しげな曲。
嬉しいシーンに楽しげな曲。
というのがセオリーなのだけども、
わざと、悲しいシーンで楽しい曲をかけたり、
嬉しいシーンで、悲しい曲をかけて、
逆に感情を強調する手法があるとのこと。
当たり前の音楽の使い方よりも、その方が印象に残るのは確かだと思う。
下手するとチグハグになってしまいそうなところだけども、
パッと思い出すだけでも印象的な映画の名シーンがあるね。
人類滅亡を描いた往年の超名作SF『渚にて』(スタンリー・クレイマー/監督 1959年)で、
『ワルチング・マチルダ』をテーマ曲として使っているのが良い例。
『ゴジラ』(本多猪四郎/監督 1954年)でも、最後に海底下のゴジラに芹沢博士が
新兵器で挑むシーンに、伊福部昭氏はもの悲しい美しい音楽をつけていて、
コレまた。非常に印象に残る名シーンとなている。
SFのように絵空事とも言える映像に説得力を持たせる為には、
音楽による画像の補強が必要なのだとも言える。
同様に、それは時代劇にも言えるのだ。
そして、ミスマッチではないかと思う楽曲の使用が、
とんでもなくハマることがあるのだ。
あの『大江戸捜査網』(1970年〜テレ東)のテーマ曲。
このビッグ・バンドと時代劇のミスマッチ感が、殺陣のシーンですごい効果を上げていた。
落ち込んだときに聞くと、元気が出ること間違いなしの名曲。
『必殺シリーズ』(1972年〜TBS/テレ朝)のウェスタン調のBGMや、
中村主水のバラード調のテーマ曲。このシリーズは名曲揃い。
それで、鬼平犯科帳である。
二代目中村吉右衛門氏の『鬼平犯科帳』(1989年〜フジ)のエンディング。
なんと、ラテンバンドのジプシーキングスの楽曲を時代劇で使うなんて、
並大抵のセンスでは成し遂げることができないぞ。
作品の世界間から、視聴者の日常に戻っていく橋渡しとしての曲。
初期シリーズでは、中西龍さんの淡々としていながらも
味のあるなレーションから、流れ出すギターの音色。
完全に話が終わってからエンディングに移行するのではなくて、
話の途中からエンディンが鳴り出すのが良いのだなあ。
アニメ『シティハンター』(1987年〜日テレ)のGet Wild方式
と言ったらわかりやすいかな?
日本の四季の風景とラテンギターの楽曲がミスマッチと思いきや、
なんとも心地良い。この映像も拍手ものだなあ。
この感覚、本当にすばらしい。
私も、舞台の音楽には、相当気を使うのだけども、
こういう見事な感覚の作品を見ると、大いに刺激を受けるし、
勉強になるのだ、
まだまだ学ぶこと多いなあ。
一部は満席です。二部もあと少し。
こちらもよろしく。