何度も見たくなるのか? | 奇は奇術師の奇

何度も見たくなるのか?

拙著でも書いたが、

私は映像でマジック見だした最初の世代。

テレビのマジック番組をビデオテープに

録画しては何度も何度も繰り返して見たのだ。

 

島田晴夫、フレッド・カップス、

ゲル・コッパー、リチャード・ロス、

ノーム・ニールセン、ランス・バートン、

リチャルディ、

 

など各氏の演技は、

ほぼノーカットで手順が放送されたこともあり、

何度も何度も繰り返して見たのである。

 

何度も何度も見たくなる演技だったのだ。

そこには何があったのか?

 

 

お気に入りの映画は何度も見る。

話やオチが分かっていても、何度も見たくなる。

『2001年宇宙の旅』『ブレードランナー』なんて、

DVDもう100回ぐらい見てる。

クロサワやチャップリン も、何度も見る。

繰り返しの鑑賞に耐えられる

映像、内容、お話、があるのだ。

 

お気に入りの落語は何度も聴く

筋やオチが分かっていても、何度も聞きたくなるのだ。

談志師匠の『芝浜』や、6代目松鶴師匠の『らくだ』なんか、

何回も聞いた。時期や会場によって違いがあるのだけども、

噺のスジ、サゲが分かった上で、何度も聞ける。

 

落語でも映画でも、

そこで語られるのは人間であり、

観る者、聴く者、との共感、あるいは反感を呼ぶ

何かしらのドラマがあるのだ。

つまりは人間が描けているのである。

だから何度でも鑑賞できる。

 

方やマジックはどうなのだろうか。

 

先に挙げた名人の演技は、

マジックの不思議というよりも、

そこから醸し出される雰囲気、

演者の人間生、マジックのドラマ性が、

感じられるから何度も見ることができるのだ。

 

タネがわからないから、何度も見るのとは

次元が違うのだ。

 

そのようなマジックは。

圧倒的にステージマジックである。

クロースアップで、複数の鑑賞に耐えうる演技は

少ない。カップスのカップ&ボールぐらいかなあ。

 

詰まるところ、

ステージではたんなる不思議の提供だけでは

成り立たないし、物足りなくなるのだ。

 

一般の観客でもそうだろう。

 

びっくり箱で評価されているだけでは、

いつまで経っても、特殊効果だけだ。

人間生の溢れる、人物が見える演技。

 

そうでないと、

一般人が何度も見たくはならないだろう。

 

何度も見たくなるマジシャンが

たくさん生まれてこそ、

本当にこの分野は認められるということだ。

 

今はまだまだなんだなあ。

 

 

いつものお好み焼き屋さんで、

きのこバター頼んだら、このボリューム。

きのこはなんぼでも食べれるね。

 

 

 

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