貧困育ちの不良が、 上場企業を創業し、 元首相秘書を経て、県政史上最年少議員に当選した理由 | 中谷一馬オフィシャルブログ「おもしろき こともなき世を おもしろく」Powered by Ameba

貧困育ちの不良が、 上場企業を創業し、 元首相秘書を経て、県政史上最年少議員に当選した理由

◆「だから政治家になった」(幻冬舎刊)1/25発売
母子家庭・貧困育ちの不良少年から、 上場企業の創業に参画し、 元首相の秘書を経て、 県政史上最年少議員に当選した、 中谷一馬が政治家になった理由。 
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私儀 このたび、拙著としては二作目となります「だから政治家になった」を上梓する運びとなりました。
 
日常活動と並行して、徹夜作業を繰り返しながら、10万文字近い原稿を書き上げるのは、なかなか骨の折れる作業ではありましたが、仲間たちのサポートのおかげで、なんとかここまで漕ぎ着けることができました。
 
半人前のしかも落選中の政治家が、出版するというのは、大変おこがましい話であります。それも重々承知の上ですが、私が見てきた社会の底辺における目線を共有することで、読者の皆様にとってお役に立つことがあるのではないかと思い、頂いたチャンスも何かのご縁と感じ、執筆させて頂きました。
 
内容は、母子家庭の貧困家庭で育ち、厳しい家計を支えるため、中卒で社会に出るもうまくいかず、挫折を繰り返し、社会の荒波にもがき続けた私自身の生い立ちをモデルにしながら、貧困や教育の問題といった日本社会の直面するさまざまな課題を明らかにし、加えて、どのようにすれば道は切り拓けるのかという、より良い未来に向けた具体的な提言をさせていただいております。
 
アベノミクスが実質的に行き詰まる中、子どもの貧困をはじめ、長時間労働の問題や、要介護切りなど、社会の様々な面で「ゆがみ」が具体的な形をとって表れてきております。こうした社会の課題に対する、改革のための「もう一つの選択肢」を提示させていただいたつもりです。 
 
各方面でご活躍のみなさまにおかれましては、お忙しいところ大変恐縮ではございますが、ぜひご一読いただき、またほんの一部分でも私の言葉に共感を持っていただいた場合は、ぜひ「Blog」や「SNS」等を通じてご紹介いただければ幸甚です。 
 
この本を1人でも多くの方の手に取って頂き、読者の皆様にとって、この本からなにかしらのプラスに繋がることを心から願っています。 
 
中谷一馬 
 
 
【内容紹介】 
27歳という県政史上最年少の若さで神奈川県議会議員に当選し、 現在は、民進党に所属する政治家・中谷一馬。 
母子家庭の貧困育ちで元ヤンキー、飲食店経営からIT企業の創業、元総理大臣の秘書…… と異色の経歴を持つ政治家が、自身の波乱の半生と、 国政で実現すべき具体的な政策について熱く綴る。
 
 
◆もくじ 
 
第1章 貧困ヤンキー、政治家を目指す 
●両親が離婚、貧しい母子家庭で育った 
●22歳で渋谷にダイニング・バーをオープン。23歳でITベンチャー企業役員に 
●貧乏であることに気づいていなかった 
●政治家を目指し、722人の国会議員に片っ端から電話をかける ほか 
 
第2章 県政史上最年少の神奈川県議会議員が誕生 
●県議会議員選挙に必要な費用は1000万円 
●毎朝6時半から街頭活動。新米議員の一日のスケジュール 
●議員の報酬は高いのか、安いのか!? 
●マニフェスト大賞で最優秀政策提言賞を受賞 ほか 
 
第3章 なぜ国政を目指すのか 
●県議会の1年生議員が衆議院議員選挙の公認候補を目指す道のり 
●解散総選挙は突然に 
●落選中の政治家はつらいよ ほか 
 
第4章 日本を立て直す具体的な政策 
1. チルドレン・ファースト! 未来を担う子ども・若者世代への投資の拡充 
2. 全世代の“人"に向けた投資の拡充と持続可能な社会保障制度の堅守 
3. 最先端技術を活用した第四次産業革命とふつうの人から豊かになる経済再生の牽引 
4. ICTを活用した社会のスマート化と行財政改革の断行  ほか
 
 
◆著者「中谷一馬」について
 
1983年8月30日生。貧しい母子家庭で育つ。
厳しい経済環境で育ったことから、経済的な自立に焦り、日吉中学卒業後、高校には進学せず、社会に出る。 だがうまく行かず、同じような思いを持った仲間たちとグループを形成し、代表格となる。 しかし「何か違う」と思い直し、働きながら横浜平沼高校に復学。卒業後、呉竹鍼灸柔整専門学校を経て、慶應義塾大学に進学。 
その傍ら、飲食店経営や東証一部に上場したIT企業の創業に役員として参画する中で、人の役に立つ人生を歩みたいと政界進出を決意。 元総理大臣の秘書を務めた後に、27歳で神奈川県議会における県政史上最年少議員として当選。 
県議会議員時代には、World Economic Forum(通称:ダボス会議)のGlobal Shapers 2011に地方議員として史上初選出され、33歳以下の日本代表メンバーとして活動。また第7回マニフェスト大賞にて、その年に一番優れた政策を提言した議員に贈られる最優秀政策提言賞を受賞。 さらには、日米青年政治指導者交流プログラム 日本代表メンバーとして訪米。2014年、衆議院議員選挙に初挑戦。現在は、民進党神奈川県第7区総支部長として多方面で活動中。