普通って・・・? | PANIC ATTACK

PANIC ATTACK

パニック障害と診断された主婦の闘病記録。
時には深刻に、時にはお気楽に、
パニック障害に立ち向かいます。

 こないだから「普通の生活」が送れるようになったと思えるようになった。
私の「普通」って何だろう?
そう思ったときに、家族と笑いあえる生活はもちろん、
自分のするべきことがちゃんとできることだと思った。
別に完璧である必要も無いんだけど、
当たり前のことが当たり前にできるようでありたい。

例えば炊事・洗濯・掃除など、
専業主婦なら常日頃当たり前にやっていることが、
たまにはサボることがあったとしても、
ほぼ毎日普通にすることができる。
それが私の思い描く普通の生活。

それが8年前に発病してからだんだんとできなくなり、
最近ではできないことが当たり前になっていた気がする。
当たり前にできていたことができなくなり、
その上それがとてつもない苦痛でしかなかった。

 でも今は違う。
以前は廊下の物入れにあるソーイングボックスを出すのも面倒だったのに、
今日はミシンを出して夫に頼まれていた作業着5本分の裾上げをした。
前なら嫌で嫌で仕方なかったのに、
針山を左手首につけマチ針で生地をさし、
気が付いたらあっという間に終わっていた。
そういえば私ってお裁縫好きだったな~なんて思い出したりして・・・

もっとも嫌だった炊事も、
確かにメニューに悩んだりするけど、
あっこれ作ろうかな、あれ作ろうかななんて思えるようになった。
そうだよ片づけは嫌いだったけど、
お料理は好きだったじゃんっていうふうに感じたり。

久しぶりに行事とか関係なくおやつにとクッキーを作った。
子供のためもあったけど、
自分が作りたいから作った。ただそれだけ。
すごく楽しかった。

長男が帰宅して手を洗った後一番に、
「焼き立てだから熱いよ。」と言いながら一枚口に入れた。
長男は「おいしい」と言いながら食べ、
よっぽど嬉しかったのか「友達と一緒に食べていい?」と言うので、
これから会う友達の分を包んで持たせた。

 本当にごく当たり前の普通の日常のひとコマ。
ただそんなことができるというだけで、
心の底から幸せだな~と感じる。
涙が出てくるくらい嬉しいと思う。

つらいこともたくさんあったけど、
そんなふうに普通のことを幸せだと感じられるのは、
それを乗り越えることができたから。
おかげでたくさんのことにも気づけた。

これからつらかったことは、
これからの自分の人生の宝物になる。
あのときのことを思えば、
あのときも乗り越えられたから・・・
きっと自分はもうへこたれない。
そう思えることを乗り越えてきたんだから。
これからは今日のように、
小さな幸せに気づきながら日々を送るんだ。


 今日は別に狙ったわけじゃなかったんだけど、
ちょうど東日本大震災から2年・・・
阪神淡路大震災では自宅が震源地のすぐ側だったんだけど、
食器棚のものが割れたり風呂場のタイルにヒビが入ったくらいで、
家族には全く何も被害が無かったし、
自分自身たまたま旅行中で震災を体験することも無かった。

2年前のあの日は、
三男と2人でリビングにいた。
あまりの揺れに驚いて、三男をかばうように揺れがおさまるまでじっとしていた。
揺れがすごいとは思っていたけど、
まさかあんなに大きな津波がやってくるとは・・・

街を丸呑みするほどの大津波、
崩壊し爆発する原発、
目を疑うような光景の数々。
親族も被害にあうことなくすんだ私でさえ、
ショックのあまり心が深く深く沈んでしまった。

 あれから2年。
もう2年だったりまだ2年だったり、
人それぞれの思いがあると思う。
家や身内や自分の大切なもの全て失くした人もいるし、
それまでのまさに「普通の生活」が消えてしまった日だと思う。

まだまだ復興には時間がかかるらしい。
きっと人々の心の回復にも時間がかかると思う。
自分の苦しみに比べたらはるかに深いものなのかもしれないけど、
自分も生きるのがつらいとしか思えないときがあった。
こんなにつらいのなら死んだほうがいいのかとも思った。
何がつらかったかって、
自分の周りの人は自分を励まし支えてくれてるのに、
自分自身何がつらいのかわからなかったのが一番つらかった。

でも8年という長い長い時間がかかったものの、
ようやく「普通の生活」という感覚を取り戻せた。
これも自ら命を絶たなかったおかげ。
命を絶ってしまえばそこでおしまい。
死のうとしたことが全く無いかと言えば、
もしかしたらうそになるかもしれないけど。
でも本当に生きていて良かった。

 だから、被災者の方で生きるのがつらいと思っている方もいると思うけど、
絶対に死ぬ道だけは選んで欲しくない。
これは東日本大震災の被災者の方たちだけでなく、
全ての人に言いたい。
どうか死なないで。
どうせ時が来たら人は必ず死ぬのだから。

死んで苦しみから抜け出たと思っても、
もしかしたら一番大事な人を不幸のどん底に突き落としているかもしれない。
自分が苦しみから抜け出すためならそれでいいのか?
自分が味わった苦しみよりもひどい苦しみを人に与える結果になっても?

人は決して一人きりで生きているわけじゃない。
何のために生きてるのか、
そんなことを考えてしまうこともあるけれど、
生きてる限り必死に生きて行こうと思う。
こんな自分でも誰かの役に立っているのは事実だから。
替えがきくと思うかもしれないけど、
それを決めるのは自分じゃない。
だから生きてるんだよ、きっと。