詐話語のアカ #24 | マックスヘッドルーム

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人の一生は長くはない。
全ての事象を思考して
結論を出すには短く、
自分に関わりのない事柄は
いい加減に捉え、他者の意見に
安易に迎合して生きるのも
仕方のない事と言える。


今、にわかに騒がしい
「コンサートの動画騒動」


ちなみに私は体罰否定派
体罰が教育上必要か?とか
子供の躾に有効か?ではなく


私の中で「体罰」は
合法的行為を表す言葉
として存在していない。

真摯に考えた結果、

現時点での私の結論である。


最も似た言葉は「援助交際」
主に未成年売春を表すが
あたかも合法の範囲内に
あるかの様に装う言葉。


大人の世界は
私的制裁を禁じている。


人を罪に問い、
罰の認定に至るまでには
複数の公的機関によって
検討されているだろう。


子供に対しては個人の
その大人の主観で懲罰を
与えてよし、とするのか?

不条理な連帯責任を課せられ
主張も聞いてもらえないのは
もはや冤罪ではないのか?


体罰を受けた人間が
己の心を守る為に
他者に対して憎しみを
抱かぬ様に…

あの暴力には「意味」があった

と考える事は理解できる。

だが、それは
「スタンフォード監獄実験」
の哀しい連鎖ではないのか?

必要以上に「大人の役割」を
果たそうとする暴走と
考えられないだろうか?




体罰容認派の方には
ぜひ一度聞いてみたい、

「ひょっとしてTV画面の
映りが悪くなった時には
叩けば治ると思ってます!?」

もしくは

「携帯電話の電波状態
を表す表示が1本の時に
なぜかシェイクします?」