今回は、フォークのことを書いてみました。🍴

 

カトラリーの歴史にも欠かせない人物といえば、フィレンツェ(公国 1532〜1569)の、

 

カテリーナマリアロムラディロレンツォメディチ (メディチ家 兄派最後の人物) ですね。ピンク薔薇

 

直系 (コジモ1世からは弟派の傍流だが、母は兄派) は、1743年に、ジャン・ガストーネの姉、アンナ・マリーア・ルイーザ 断絶してが、カテリーナの兄(庶子)といわれていたフィレンツェ公アレッサンドロの末裔はご健在のよう(以前はFacebookがありました) 

 

5〜6年ほど前まで、でしたが、

 

1533年、14歳のカテリーナが、アンリ・ド・ヴァロア(第2王子・後のアンリ2世)に嫁した際、フランスに持ち込んだとされる銀製のフォーク レプリカ が、

 

フィレンツェのジュエリー店 トッリーニ1369 の、店頭とオンラインショップで販売されていました。ベル

 

フォークは、トッリーニ1369のマエストロ、フランコ・トッリーニ氏 が、フィレンツェのパジェロ美術館でなさった調査に基づき、

 

1974年に約500本複製されたものです(45年間ほど販売していらした流れ星

 

45秒〜

🇮🇹  La Forchetta 

di Caterina de'Medici in Argento

 

鋳造方法 / ロストワックス 

 

メディチ家  紋章入り  500本

€254.10

(6年前のレートで1本¥33,000〜)

 

ベルメディチ家 紋章の画像

 

 

《カテリナ・デ・メディチのフォーク》

Evoluzione degli usi conviviali dal Medioevo al Rinascimento

24ページ

著者 / Manfredo Fanfani

 

 

💍 Torrini 1369 Facebook

 

 

 

🇮🇹カテリーナが持ち込んだ 「先が3本のフォーク」 を、息子のアンリ3世が母に倣って使用していたそうですが、

 

「キザっぽい!」 と、嘲笑されていたそう。流れ星

 

というのも、神から授かった指を使わないのは、神の摂理に反する!

 

食材に手で触れることができるのは、神に似せて作られた人間だけ!

 

などの思想もあったためです。ベル

 

フランスでは、庶民がフォークなどのカトラリーを使用するようになったのは、フランス革命 (1789〜1799) 以降といわれていますが、

 

🇮🇹 百年ほど前のナポリでは 路上で売られているパスタをづかみし、顔を上向きにしながら食べていらした のでした(ストリートフードでしたからね)。流れ星

 

 

 

 

 

 

 

ピンク薔薇カテリーナのフォークについて

「... 長いテーブルの中央に座っている高貴な女性は、紋章が刻まれたケースを開き3つの鋭い金属の先端を持つ、奇妙な物体を取り出し右手の先細の指でそれを取ります。...」 注)Corte 宮廷 (自動翻訳は裁判所❎)

 

 

 
  
♡美術館の催事だったのですが、
展示ケースにこのように寝かせて並べてあった
肖像画です(額入り 20×25cm ほど?)。
カテリーナは怖い方で有名ですが、マリーの肖像画は
もっと明るい表情のものもありますね♡
歴史上の人物としてお会いしたかった(笑)お二方
でしたので、とても驚きました!
*カテリーナの肖像画はこちらに似ていましたが不確かです
 
カテリーナ・デ・メディチ1519-1589
    (カトリーヌ・ド・メディシス)
 
マリー・ド・ブルゴーニュ / 1457-1482
(Maria von Burgund マリア・フォン・ブルゴンツ
神聖ローマ帝国の皇帝マクシミリアン1世の皇妃。
領民からは「美しき姫君、我らのお姫様」と慕われ、
大変円満で幸福な生活でしたが第4子懐妊中の落馬に
より、3週間後25歳で永眠。
 
💍1477年にマリーに贈られた婚約指輪の画像
世界初の婚約指輪と言われていますが、実際には、
「マリーの父ブルゴーニ公国のシャルル突進公への
贈り物で、2つの帝国の統合記念した指輪」だった
ともいわれています♡
」の字の形に、大まかに形作られたメレダイヤが
セットされていますが、おそらく、
ary,  aximilian,  onarchy(君主制)」が、
されていると思われる、とのこと。