なんのために生きているのか | 渡辺河童のコレクションルーム

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漫画家+いろいろデザイナー渡辺河童の日記


おはこんばんちわ。
渡辺河童です。

今日は少しダークなお話を・・・

内容もかなり長いですし重いですので、
心してお読みください。


昨日、黒バス脅迫事件の被告人意見陳述1~2を読みました。

1・http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140315-00033576/

2・http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140315-00033579/

何を最初に思ったか。

渡辺博史の「渡辺」っていうのは、本名ではないですが、自分のペンネームの名字と被りますので、興味深く読みました。

また、同性愛者だと渡辺博史被告は言っているので、性的少数者(セクシャルマイノリティ)っていう部分でも被りました。自分の場合は正確に言えば完全な同性愛ではありませんが、セクシャルマイノリティというくくりの意味で言えば同じです。

でも、自分的には、反発的に何コイツクソじゃん!!っていう反応ではありませんでした。逆に自分と重ね合わせて考えさせられる事項が多かった。

渡辺被告の陳述にあった下記について。

自分が「手に入れたくて手に入れられなかったもの」について列挙しておきますと、上智大学の学歴、バスケマンガでの成功、ボーイズラブ系二次創作での人気の3つ

自分の場合、学歴に執着することがないのでここは割愛。

漫画の事・・・親にとにかく漫画家になる事について大反対されていました。高い画材も、頑張ってアルバイトして買って、自分のモノなはずなのに、親の機嫌によって捨てられる・・という生活。でも、それに屈することができず、17歳で家出。

小さい頃、絵を描いて文部大臣賞をとっても、漫画を描いても「遊んでる」としかとられずに、怒られて親にも殴られてばかりいる学生時代でした。

17歳でバイト2~3つかけもち当たり前で、なんとか生活しながら同人誌に参加しました。自分だけで本を作る事が出来ない自分は、当時盛んだったファンロードっていう今でいうオタ雑誌に中学生の頃からせっせと投稿したりして、掲載ハガキの常連になって作った人脈でゲスト原稿という形であちこちの同人誌に書かせて頂いてました。

21歳でエロ漫画家としてデビューしましたが、これは親のいうことをきかなかったからこそ成し遂げられた夢を叶えた現実です。

イジメのこと・・・学校では、当時はオタクっていえばそれだけでイジメの標的でしたし、自分の場合は小学生の時から性別違和を感じていたので男の子っぽい服装をして「オトコオンナ」と言われ、学校に行けば上履きが捨てられていたり、殴られたり、イスや上履きに画鋲当たり前、酷い時には水をぶっかけられて教科書さえ瀕死・・・ってのが日常茶飯事でした。なので、学生生活のいい思い出がないばかりか、同窓会とかいう言葉に、今でも縁がありません。


渡辺博史被告の場合、まず最初に親に屈してるように感じました。(いや、それだけ素直な子だったんでしょう。親が絶対的である家庭は少なくないでしょうし・・・。僕の場合は、親が漫画家に対して大反対!っていうのがなかったら、同じ境遇になっていたかもしれません。)

ここがまず分かれ目だったのかな、と。

僕も渡辺被告と同じように、親のいうことをきいていたらデビューさえできなかったでしょうから・・・。でもコレ、結構ある風景なんじゃないかと考えます。誰も親とガチバトルしたいとは思わないでしょうし、親には絶対的服従を強いられる人間も多いのではないかと思います。

ましてや、セクシャルマイノリティだと親にカミングアウトするなんてことは、かなり勇気のいることですし、できなくて悩む人の方が多いと思います。

イジメもキッカケになっているようですが、イジメに遭った人が全員こうなるワケはないので、ここはなんとも言えないですがね。



ここで皆さんに質問です。

あなたは何のために生きていますか?

この問いに明確に答えられる方はたくさんいるでしょう。家族のためであったり、守るべきものがあったり、やりたい事があるという事は、本当に素晴らしい。

しかし、答えられなくなっている人も多くなっているのだと私は感じます。ネット社会になり、PCから目を背ければ「孤独という現実」が襲い掛かる人も少なくないハズです。

私は後者です。
答えられません。

なんの為に生きているのかは分かりません。
家族もいないし、兄弟もいない。
しかし、他人に迷惑をかける行為をしたくないから生きている。
たったそれだけです。

ただ、生きていればいいことあるさ!!と思いながら生きています。ネガティブ思考になるときはありますが、それだけじゃ落ちていくばかりなので、自分を奮い立たせます。

渡辺被告のように「この巨大な相手にせめてもの一太刀を浴びせてやりたいと思ってしまったのです」という気持ちも起こりませんし、犯罪者になる勇気もありません。つーか、なりたくない。(まぁ、ここにも考えが及ばなかったんだと思いますが・・)

ある意味で、僕にはどう見えているか・・・・
渡辺被告には、
大きな反抗期が今更ながらやってきた

かのように感じています。

被告人意見陳述が、こじらせすぎた厨二病に見えるのは僕だけでしょうか。

反抗できる場所を間違えた。

話す人もいなかった。

ネット社会になり、孤独を倍増させるツールが世の中にはいっぱいあります。twitterだったり、Facebookだったり・・SNSはナナメから見れば「孤独確認ツール」であると僕は思っています。

よくみんなやってますよね?
「僕と私ともっと仲良くしたい人RT」とか。
アレやってRTこなかったらもっと孤独感倍増しませんか?
だから僕はやりません(笑)

色々と考えた結果、渡辺被告が言っている事は誰しもが陥りやすい、日本社会の側面なのかもしれないとも考えます。