不幸せの条件 | 我が麗しき君と摩天楼

我が麗しき君と摩天楼

沢田研二さんへの想いを胸に秘め、ニューヨークに14年滞在後2013年帰国。
変わり果てた日本で逞しく生きる日々。

毎日が空しいです。


狭いベッドで寝起きし、でも朝のコーヒーと手作りジャムをのっけたトーストは美味しい。

部屋を出て、暗い廊下から玄関までなんとか気分を高めつつも、外に出ると嫌でも重苦しい外気を感じないわけにもいかない。

あたりを見渡すと、チリひとつ見当たらない整備された道、そこにある電信柱はどこまでも垂直にそびえ、電線は正しく電信柱を結ぶ。

舗道に等間隔に植えられた木は公務員の方々によって同じ形に整えられ、信号は狂うことなく正確に作動している。

左折右折する傷ひとつついていない車は必ずウィンカーを出し、横断歩道を渡る人々は信号を守り安全を確認する。

殆どの家々の周りには高い壁が張り巡らせ、自慢の庭を暗い影が覆い、他人様の目を避けるように生活が営まれている。

家屋の二階以上もしくはビルを見上げると、細いプラスティックや金属の枠に薄いガラスがはめられ、それは表情の無い壁にミリ単位で正確に凹凸無く設置され、いつもスムーズに開閉する。

無機物な建造物にはカラフルな看板がところ狭しと掲げられ、その下にはお得感ただよう言葉を羅列した旗がたなびく。

公共施設で働く人々は正しい情報を決められた言葉で無気力に伝え、営業の方はマニュアルに忠実に客に抑揚無く伝える。

自販機は押したボタンのとおりの商品が出てくるし、お釣は必ず出てくる。

日が暮れてしばらくすれば、住宅街はひっそりと静まりかえり物音ひとつ立てることもはばかられる。


規律があって間違いの無いこの国で、静かに暮らせることは本来とても感謝しなければならないんだと思う。

でも時折、私はとても不幸に感じる。

この国が最後に、喜んだり、怒ったり、愛したり、楽しんだりした日はいつなんだろう。