どうしてこんなに間があいてしまったのか、ただの遊び疲れとインターネット接続の悪さでございます。
旅先での更新は無理ですね。
そのくらい、毎日過密スケジュールを元気に過ごしております。
さて、いつの間にやら私は本日8月26日未明、日本に帰って参りました。
が。
本日は8月12日(月)大昔のチェコ共和国・プラハへの旅の御報告でございまする。
途中まで書いておりましたので、このまま更新致します。
まだ覚えておりかのお。
まず、プラハ行きは、こちらドイツ・ニュルンベルグから日帰りでございます。
車で4時間程度で行けるほど近いんです。と言えるのも、運転は全て弟だからなのです。
でも私は一人旅オランダ・アムステルダムとベルギー・ブリュッセルの片道約10時間のバスの旅から帰ってきた次の日でございます。
わりと疲れています。
宿泊代をうかせようと、我が弟は起床朝4時、出発時刻5時という無謀な計画を遂行するべく張り切っておりました。
日帰りなので宿泊準備はしなくていいものの、着いてからどこをどの順番で効率よく廻るかが、日帰りの旅を楽しくするものになると思われます。
しかも、今回は義妹、甥、私、弟の4人の旅でございますので、気ままな一人旅とは随分と勝手が違います。
それでは~しゅっぱつ~5時ちょこっと過ぎです。
お洒落なお年頃の甥の身支度に時間がかかりました。
夜明け前なのに・・・。
ドイツ・ニュルンベルグからちょうど東に車で約4時間、片道300キロ弱、一行はオーストリア・プラハに向いました。
ドイツ国内で夜が開け、オーストリア国境近くになると国の経済状態が影響してかアウトバーンの路面は著しく整っていませんでした。
それからこの国についてですが、ちょっと前にチェコスロバキアと言う国から「チェコ」と「スロバキア」に分かれたんですよね。
ヨーロッパの各国がユーロに加盟する中、2つ両方の国を同時にユーロに入れないわけにはいかず、加入を許されました。
しかし、経済状態の悪さかなんだかで、現在通貨はユーロを許されず今でも「コロネ(クローネ:ドイツなまり)」という通貨が使われています。
ちなみに、1ユーロ=$1.35=130円=約25コロネ です。
ドルとユーロを使い慣れた海外滞在の日本人には非常に換金計算しにくい通貨でございます。
途中のドライブインでチェコ語で「Exchange」と多分書かれた小屋
例えば、レストランに行ってメニューを見ると、一皿400コロネとか書かれてるんですよ。
ユーロやドルの場合、400というと約4万円前後になるという感覚があるんですよね。
あ、こちら「エスカルゴ バジルソース」186コロネ=約7.5ユーロ=約$1000=約970円。
とまあ、何段階にも渡って換算が必要でございます。
ですから、会計時2000コロネ請求された時、4人は同時に目点でございました。
「なにこの桁!」
「これって高いんちゃうの?」
「旅行者だと思ってボラれてるんじゃないの?」
「ちょっとユーロに計算してみようよ!」
「え~となになに。」
2000コロネ=約80ユーロ=約$108=約1万500円
4人声を揃えて「・・・ほほ~。微妙ですね。」
弟と私がビールを飲んだんですけど、ここ、「ホテル プリンス」には、というかプラハのレストランにはなのか、ビールがブランドごとには売ってないんですかね?よく分かりませんけど。
種類が選べないんですよ。
プラハはチェコの首都でございますが、とりあえず、車を駅前の駐車場に押し込めまして、街中観光のためバスで移動でございます。
ボヘミア盆地を南北に流れる「ヴルタヴァ川(チェコ語:Vltava, ドイツ語:Moldau:モルダウ川)」、プラハの旧市街地と城下町を隔てているんです。
多くのスラブ民族がこの川の河畔に集落を作りました。
そこに掛かる多くの美しい橋がありました。
なかでもプラハ城を背に最も美しく見える「カレル橋」。
中世、神聖ローマ帝国時代、プラハ城の拡張、大学の設立による天文学の発達と共に、プラハの街はヨーロッパでは最大の都市となり、「黄金の都市」とも呼ばれました。
「プラハ城」とそのすぐ横に建設された「聖ヴィート大聖堂」。
「百塔のプラハ」と呼ばれるほど尖塔の多いプラハですが、こちらの天文時計もそのひとつ。
独自のスラブ文化が今もなお建造物、町並みに多く見ることが出来ます。
後日改めまして、私の日本生活の不調和さを挟みつつ更新していきますので、見てやって下さいまし。















