桜の咲く庭から | 我が麗しき君と摩天楼

我が麗しき君と摩天楼

沢田研二さんへの想いを胸に秘め、ニューヨークに14年滞在後2013年帰国。
変わり果てた日本で逞しく生きる日々。

昨日の続きです。

ニューヨークやっとこさ桜咲く。


*アメーバさんの指定容量越えのため、これしか載せられませんでした。
 他の写真にご興味にある方は、私のFBへ飛んで来て下さいまし。

そんでもって、こちらは我が家のご近所のお宅の庭に咲いた桜でございます。


私の住む閑静な住宅街では、このような美しい桜の木を植えているお宅が沢山ございます。

家と家とを区切る、塀や柵のようなものは特に存在せず、強いて言えば、駐車場やお勝手口から伸びる小道が、お隣の土地との境目のようになっています。

どのお宅の庭先にも、星条旗を掲げるポール、もしくは玄関先の柱に「引っ掛けるところ」があって、正月でも祝日でもないのに常に旗めいているお宅が多いです。

それもこれも愛国心の現れなのですが、ちょっと前にアフガニスタンから帰って来られた軍人さんが、自分ちの庭先にポールを取り付け星条旗を揚げたところ、近所の住人から苦情が出て裁判沙汰になるまで騒がれました。

どこの州だったか覚えてないですが、そんな(アメリカ人でない)住人はアメリカから出て行かれるがよろしかろうと私は思います。

戦争に賛成しているわけではありませんが、自国を愛するアメリカ人が、アメリカの国旗を、アメリカで揚げてどこが悪いって話ですよ。

さて、桜の咲くお庭に戻りまして、今から約10年前、そんな庭先に旗めく星条旗と共に多くの「黄色いリボン」が、木々や玄関の柱やらに巻かれている光景を、約数年に渡ってよく見ました。


この「黄色いリボン」というのは、昔は兵士さんが戦場で付けて戦っていたらしいです。

200年以上に渡る長い歴史があるのですが、一言でいうなれば、現在は「戦争に赴いている方々の安否を気遣い1日も早い無事の帰還を祈る」という残された家族からの思いです。

あの頃は多くの軍人さんが赴きましたからね。

本来このリボンはオークツリー(樫の木、楢の木)に巻くようですが、現在はどこでも目につきやすいところに巻かれています。

最近では「黄色いリボン」がデザイン化され、裏に磁石が付けられてどこでもペタンと貼付けられたり、ピンが付いていて襟に付けたり、車にも張り付けられるようなシート状のも登場してきました。


メッセージ付です。

アメリカの祝日の「ベテランズデー(退役軍人の日)」では、多くの関係者が木々に黄色いリボンを巻き、国民の平和と現在戦地に赴いている方々の無事の帰還を祈ります。


昨日、「信号旗」を揚げて遭難した父親の帰りを待つ少女のアニメ映画「コクリコ坂より」を見ていて、ふと、こんなことを思い出しました。


最近日本では、東日本大震災復興の祈りを込めて黄色いアイテムが出ていることを知りました。

大事な方々を愛おしみながら、世界中でその祈りが1日も早く叶うことを願わずにはいられません。

ジュリー様が作られた、リストバンド、黄色に込められた思いに今気がつきました。

アメリカでは「死」を意味すると昨日書いた「コクリコ(ひなげし・アマポーラ)」。

華のように美しい衣装をお召しになって歌われた「アマポーラ」で、「血」の演出をされた沢田研二様、あれにはいったいどんな思いが込められていたんでしょうね。