松下村塾の塾生・・・三十回目 | 隠居の暇つぶし

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       松下村塾の塾生

  小野為八・・・「一八二九~一九〇七」
  萩香川津「萩市」生まれ。

  御雇医山根文季の長男。山根孝中の従兄弟。

  通称は為八、正朝。藩医小野家の育み。

  十七歳の時に松陰先生に兵学を学び、のちに長崎で洋

  式砲術の免許を取得する。

  三十歳の時に松下村塾に入る。

  塾生らと地雷火訓練を土原扇の芝で行うが、取り締ま

  りに遭い自宅謹慎に処された。

  その後、藩の洋式砲術の指導にあたり、下関で外国船

  への砲撃を指揮。

  慶応元年「一八六五」山口での鴻城隊の結成に参加し

  四境戦争「幕長戦争」では、砲隊長として芸州口に出

  撃する。

  戊辰戦争でも砲隊司令として活躍した。

  その後、山口県などで公務につく。

  一方で、写真術、酪農およびバターの製造、焼き物な

  どに積極的に取り組む。

  明治二十二年「一八八九」黒住教の布教活動に従事。

  また雲谷派に絵画を学び、等塊「とうかい」の号で作

  品をのこした。

  明治四十年「一九〇七」八月二十日呉市にて死去。

  享年・・・七十九歳。

  お墓は、萩市保福寺跡にある。