生き別れていた息子と会う。18年半ぶりの再会 | カズのヨット世界一周航海&人生日記

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2014年3月にスタートしたヨット世界一周航海は出航前にアクシデント続出。果たして、アメリカ・フロリダを出航して日本に帰還できるのか。挫折するのか。1年掛かるのか、2年掛かるのか。

熱海です。2泊しました。良い温泉地でした。

 

2024年8月27日 藤沢駅で待ち合わせ。

僕から見て2番目の息子(次男)と18年半振りに再会出来ました。

駅の南側の車寄せで、10分遅れた僕の軽トラを探していました。

 

最後に彼と会ったのは、彼が13歳の時。アメリカ・シアトルだ。

僕たち家族はシアトルで住んでいた。

 

その時の嫁(妻)に嵌められる形で、僕と息子たちは生き別れた。決して、親子の関係が悪かった訳では無かった。嫌、むしろ、もう中学生になっていた2番目の息子とは特に仲が良く、毎日スポーツを一緒にして遊んだし、いつも冗談を言い合って笑っていた。寝るのも同じ大きなキングベットで寝ていた。特にこの子が好きだった。

 

前の嫁はその彼女側の実家の自身側の親族と計画・屈託して、子供を盗もう(奪う)と試みた。同時に僕の(僕側の)多大なお金も盗む(横取り)計画を立てた。

 だから、先ず計画の実行は、僕を犯罪者に仕立てて、刑務所に入れるか、アメリカに再入国できないような状況に追い込む計画であった。(皆さんは、きっと、そんなことが出来るのかと、疑うでしょう? それが出来るんですね。お金で雇って頭のいい悪党どもを集めれば…)

 

これらの話はこのブログの中でも前に書いている。

 

嫁側は、そんな計画を実行し、ほぼ完全に成功した。

僕を犯罪者に仕立てて、僕は3年間もに亘り、アメリカで裁判に翻弄された。無実を晴らすのに物凄く苦労を強いられた。

 

 裁判は刑務所送りに成ってしまいそうな場面まで行った。50-50の割合で刑務所に入れられそうな裁判になっていた。辛かった。半年間くらい寝られない日々が続いた。僕側も多大な弁護士費用を払った。アメリカでの滞在費もホテル費用、レンタカー費用、そして渡航費用が馬鹿にならない金額に登った。

 これらは、異国の地、アメリカでだからだ。そのせいで、日本の仕事もまともに出来なくなってしまった。アメリカの会社は勿論、何も出来なかった。結果、多大な資金を投入して会社を興したのだが、アメリカの会社は、閉鎖に追い込まれた。

 

 本人である僕の了承も無く、知らない間に離婚届けが出され、承認され、僕(父側)の二人の子供に対する親権は吟味さえされないまま奪い取られた。同時に、犯罪者と化した僕(父親)には、裁判所から接近禁止令が出された。

 僕は何度も裁判所に異議を申し入れ、公聴会のやり直しを希望し、子供への面会を希望したが、許されなかった。

 前の嫁は、僕の口座や僕名義の不動産を委任状を偽造し現金化し、僕の億に近いお金を盗んで、そのお金を使って、現地で敏腕弁護士を雇い、自分側を有利にするために嘘の証拠をでっち上げ、アメリカの国の機関である移民局まで手を回し、自分側の優位性を確たるものにしていた。恐ろしい事でした。

 僕は阿保の父親で、何も知らないまま2年間も良い父親を演じていたらしく、後で分かった事だが、2年間も一緒に夫婦として生活しながら、彼女側は水面下で大きな計画を進めていたということになる。僕はなんと馬鹿なんでしょうね。。。嫌になるわ~~

 

勿論、そうなった理由はある。僕に非もある。

しかし、余りにも酷過ぎる仕打ちと感じる。

例えて言うなら、万引きした人に死刑を求刑するような、全くバランスの合わない仕打ちをされたような感覚だった。

 もっと詳しく、ことの詳細を説明したいが、ここではもう止めておきます。20年以上も苦しめられてきた事案で、思い出すだけでも吐き気がするし、辛く苦しいです。

 

 まあ、これらも20年も前の話ではある。しかし、勿論、そのことは何の解決も見ていない。僕の泣き寝入りである。

 また、息子たちと長年会えなかった時間は、消えることのない、二度と戻ることの無い人生の大事な時間であった筈だが、既に過ぎ去った取り返せない時間となってしまった。

 

今は、僕は64歳。次男は31歳。

 

最期に次男に会ったのは僕が46歳 息子が13歳だった。

 

18年。長い18年。短い人生の中での戻ることの無い18年。

 

次男から言えば、多感な、重要な時期の少年から青年、大人になって行く貴重な時期であった。本来なら、父親にも相談したいこともあっただろう。一緒に大人になる変遷機に親子の議論も必要だっただろう。キャッチボールもしたかった。一緒に山登りもしたかった。旅行にもいっぱい行きたかった。

 

13歳から31歳まで。

その期間を父親と全く接することが無く、時間を過ごしてきたのだ。

 

これらは母親(前妻)とその親族・友人達が計画した。彼女側はそうしたかったのだろうね。 彼女の実家は裕福な家だったから、お金と言うより、むしろ子供の(男の子の)生まれない家系だったから、二人の子供(男子)を欲しかったんだろう。勿論僕は厄介なゴミの様な存在と思われていたんだろうね。僕を叩き潰して、息子たちを自分側の家に取り込みたかったんでしょう。

 しかし、よくよく考えれば、決して賢い行動とは言えない。家族親族知恵を合わせてこの計画だよ。きっと全員頭が悪いのだろう。(笑)

 勿論、罪の無い子供にとっては決して良かったことにはならない。可哀そうな境遇、取り返せない時間。本当に残念な結果だ。

 

 世界中を見渡せば、色々なところで、こんなおかしなことが、行われているんだろう。お金のある人は特に・・・。今も昔も、これからも・・・

 

被害者は常に子供だ。子供は、子供なりに悩んだことだろう。

 

 しかし、18年と言う帰らない日々は過ぎてしまったが、

3日前にやっと会えました。

 

何度手紙を送っても、何度、弁護士を通して面会を希望しても、叶えられなかった再会を、息子、本人の希望で会えたんだ。

 

次男は今は東京で生活している。以前は実家のある高知県に居た。

 

僕は何度も何度も、大阪から高知市まで車を飛ばして会いに行った。探しに行った。

しかし、彼を街中で発見することは出来なかった。

 

彼は今、東京の足立区で住んでいる。足立区は安いからだと言っていた。

 

電車で藤沢まで来て貰った。

真ん中あたりだからだ。

僕は大阪から2人乗りの軽トラで行った。高速は高いから下道を使い12時間かけて走って行った。僕の普通車が壊れてしまったから仕方ない。笑笑

 

 藤沢は宿泊先のホテルのある熱海と足立区の中央あたり。

そして、僕は学生時代によくサーフィンに行った湘南海岸が好きであった。次男にも見せてあげたかった。

江ノ電、江の島、湘南。 彼は初めて見たと言っていた。

 

 日中35度の猛暑だ。しかし、人も多く、サーファーがひしめき合い、観光客で海岸は賑わっていた。

 

 次男と一緒に軽トラでドライブし、一緒に食事をした。

次男は、実際、何を考えているのか、今までの事をどう思っていたのか、分からない部分も多い。

また、これからの人生、何をしたいのか。どう生きたいのか。

分からない。

本人も分からないのかもしれない。

 

彼は31歳 この後50年も60年も人生が続く。

僕は64歳。しかし、あと30年以上はある。

その間、元気でいれば、彼とまた遊べる。時間を享有し、豊かな時間を過ごせる。

 

 だから僕の夢は100歳越えの現役なんだ。100歳を過ぎても、サーフィンをし、ハーレーに乗り、ヨットで世界の海を航海する。また、仕事もバリバリの現役で、野良仕事をしていたい。

 あと40年現役を目指している割には、今年、脳梗塞なんてレベルの低い病気を患っている。意外に、こんな人間が60台で逝ってしまったりするのかもしれない。

 いや、いかん、いかん。目標は、夢は、100歳オーバーだ。(笑)

 

 

 ああ、この日が来て、本当に良かった。

神様、ありがとうございます。そう思う。

 

この前(8月20日 満月)、僅か1週間前に出雲大社をお参りしたからだろうか??(笑)

大阪の自宅を介して約900㎞移動して湘南で息子に再会できた。

 

彼は僕より身長が10㎝高くなっていた。

凄く明るい好青年だった。性格が良い。とても優しい。

笑顔が素敵な賢い人に成長していた。

 

果たして僕が関わって育てていれば、こんなに好青年に育っていたのかどうか? 笑笑

 

彼はアメリカで12年間以上過ごしたので、英語がペラペラ、ネイティブである。それを活かして、東京で仕事をしてる。

 

彼と再会した時に彼と握手した。手が大きかった。

彼と別れる時にハグをした。

 

彼は合っている間、常に笑っていた。

僕も笑っていた。

 

僕は何を思ったのか?

彼は何を思ったのか?

 

互いに話さない部分の奥に何を思い、何を感じているのかは分からないが、

 

僕達にとって、人生の大きな一日になった事には間違いない。

 

僕は感動で、涙が止まらなかった。

嬉しくて嬉しくて、感慨深かった。

 

生きていれば、きっとこんないい日が何度も訪れるんだろう。

 

これからも、夢を持って、楽しく生きて行くとしよう。

悪いことは忘れるとしよう。

いい思い出を作って行くことに徹しよう。

 

悩んでも仕方ない。

苦しんでも仕方ない。

 

笑って、喜んで、楽しく生きよう。

 

そう思いました。

 

ありがとうございました。

 

カズ