今日は、2023年の12月29日の早朝です。4時AM
上のタイトルの番組を、僕は(再放送らしい)つい先ほど見ました。
見ていて、ショックで、苦しくて、悲しくて、辛くて、、、、
その理由でここに書くことにしました。お許しください。
その前に、下の写真ですが、出雲大社に参拝して昨日、28日に帰ってきたばかりです。
今年3回目の出雲大社です。「何回行くねん~~」って怒られそうですが…笑笑
兎に角、今年一年の感謝の意味でお参りしたかったので、1泊二日で行ってきました。
明後日(大晦日)は、伊勢神宮にも行く予定です。
それも、毎年恒例のお礼参拝です。。。
さて、この綺麗な出雲の写真とは相いれないかもしれませんが、
安楽死の選択肢のドキュメントは、見ていて、しんどかったです。
自分の息も苦しくなりました。今もドキドキしています。。
僕は、上の写真にもあるように、神様や仏様をよく考える人間です。
全然わかっていませんが、分かっていないから、余計に考えたり、感じたりしたいのだろうと思います。
自分の人生でも、通常の日常生活でも、事あるごとに、或いは季節ごとに、神社やお寺に参拝します。
手を合わせると、なにか安心できるように思うのです。。。
それは、もしかしたら、勘違いや錯覚かも知れませんが、、、
自分は、神様や仏様に生かされて、生きていると信じています。
自分で生きているんじゃなくて、生かされていると言う考えです。
生かされていると言う意味は、自分の力ではなく、何者かの別の力で、別の意図・意思で、この世に生を受けて、今生きることが出来ていると言う意味です。
ずいぶん昔にも、人から言われて教えられた記憶があります。
「この命は、自分の力で、意思で、この世に存在しているのではないですよ。」
「この世に、使命を持って、理由があって、貴方は生を受けています。」
つまりは、貴方の意思や力や考えは、貴方の生を受けるに当たっては、一切、何にも、一ミリも、影響しておりません。
つまりは、僕らの命は、僕らの物では無いと言う様な意味にも感じることになります。。。
生まれる時に自分の意思で生まれましたか?
貴方を産んだ筈の、貴方の両親だって同じです。
貴方がいつ生まれるのか、どんな顔で生まれるのか、五体満足なのか?どんな性格なのか?元気なのか、病弱なのか?
何にも知りません。奇跡的に生まれるのです。。。
つまりは親が故意に作り出したのものでもありません。
じゃあ、誰が作ったのか??
要は、命は、作るものではありません。
奇跡的に、生を授かったのです。
意味があって、大いなる使命を持って、この世に生を受けたのだと・・・
僕は若い時に、随分昔に教えられたような気がします。
また、今も、今までもそう信じています。
仮に、誰か他の物に、或いは、何者かによって、この世に生を授かったとしたなら、その人に(そのものに?)お礼を言わないといけません。。。
そんな理屈で、寺社仏閣にも、常々参拝して、お礼を申し上げるようにしている様に思います。
しかし、又それも確固たる信念がある様な、強くて賢い人間では僕は無いです。気まぐれのような感覚のふらふらとした優柔不断の自分です。。。笑笑
まあ、未だに分からないから、何となくって。。。って感じです。
さて、自分の死の瞬間を自分で決める?
やはり違和感があります。
生まれて来るときは、自分の意思は一つも働いていないのに、死ぬときは自分で決められるのだろうか??
つまり、この世に命を授かった、と言いう、その大いなる者に、言い訳が立ちません。矛盾しているし、不自然であり、おかしいです。
人の命は物ではありません。誰かの所有物でも無いと感じます。
誰かと言うのは、自分と言う意味です。
僕の命は僕の所有物でしょうか?
僕は違うように感じます。
自分の体は自分の物。ゆえに、自分の命は自分の物。そう思っていらっしゃる方は多いのでしょうけど、さっきの理由で、僕はそうは思えないのです。
自分で決めて作った部分は何一つも無いのに、その処分を急に自分が出来る権限があると言うのは、何か、いささか矛盾を感じます。
僕らの命は、自分の物ではなく、大いなる力で、この世に生を与えられていると言う事実です。
つまり、僕らの命、心臓も、手も足も、僕らの人生全て、自分の物のようで自分の物ではない。
何者かに生かされている。。。与えられている。。。命じられている・・・??
そんな感覚に感じるのです。
つまり、痛いから、しんどいから、嫌だから、
私は、自分で命を終わります。。。明日死にます。。。
何か、凄い違和感と言うか、間違っているように感じてしまいます。
もしそんなことが許されるなら、或いは、正しいのなら、
生きている人全員が、人間は皆、何時でも自分の意思で死んで良い事になります。
つまりは、自殺が正当。何にも問題ない? ってことになるの??
苦しいとか、痛いとか、、、人によって違うでしょうし、、、
時と環境に寄っても、人の人生なんて、刻々と、変わるようにも感じます。
実際に、テレビのドキュメントの中で、日本人の男性が、安楽死を望み、ほぼ決めていたのに、
その医師の診断書(不治の病の)が下りた途端、痛みが和らいだと言うのです。(スイスに安楽死に行こうと決めていた人が…)
傷みがきつくて、耐えられなくて、死にたいと考えていた訳ですから、痛みが快方に向かえば、もう死ぬ理由はありません。
一転、生きる希望が湧いてきて、顔も晴れやかに輝き、病気と闘うと言っていました。。。
今日、僕は、今更、自分の人生を考え直しました。
昨日、出雲大社で祈ったり、反省したり、誓いを立てたりもしましたが、大いに間違っていたことに気付いたような気がします。
自分の命は誰の為に在るのか? 自分の人生は何の為に在るのか? どう生きるべきなのか?
いつものように、自己中心的な感覚で考えていて、間違っていたように感じます。
僕は何故生きているのか? 何を望んでいるのか? 何を追い求めるのか?
今日のTVドキュメントを見て、気が付いたように感じます。
ありがとうございました。
今日、さっき、TVドキュメントを見せて頂けた偶然に感謝します。
かず