昭和40年(1965年)前後の横浜港の風景「客船」
かなり古い写真をデジカメで撮り直していますので画像の悪さをご了承願います。
まずは日本郵船の「氷川丸」からです。
氷川丸は日本郵船が1930 年にシアトル航路用に三菱重工の前身横濱船渠で建造した
11,622総tの戦前の日本で建造された当時最新鋭の船として竣工しました。
戦争中は海軍特設病院船となり、終戦までに3回も触雷しましたが沈没を免れ、
戦後は貨客船に戻り1953年にシアトル/バンクーバー航路に復帰し、
船齢30年に達し第一線を退くまでに、太平洋横断254回、船客数は2万5千名と活躍し、
1960年に引退した後、1961年より山下公園前に係留保存されて現在に至っています。
この写真は、1965年ごろのまだ船体を若草色に塗っていた時代の写真です。
そして、その当時のポスターを見つけました。
現在は元の黒い船体に戻り、戦前の造船技術や客船の内装を伝える貴重な産業遺産
として高く評価され、2016年に重要文化財に指定されています。
続いてはイギリスP&Oの客船「CANBERRA」(キャンベラ)です。
45,270総トン数,全長249.9m,1961年建造のイギリス/豪州航路に就航していましたが、
航空機に押され乗客が減った事から、スポットで観光客を乗せて横浜港に来た時の写真です。
その後1974年には大改装されてクルーズ船として1997年まで活躍しました。
イギリスを代表する船会社P&Oのコンテナ船部門は2005年にデンマークのマースクライン
に吸収されて、現在はクルーズ船やフェリーなどを運航しています。
こちらは、フランスのメサジェリ・マリティーム社(MM)のフランス/極東航路の貨客船
「VIETNAM」(ベトナム)です。
姉妹船の「カンボジア」「ラオス」のフランスの植民地だった国名の3隻体制で
横浜から40日かけて極東の各港に寄港してマルセーユまで行っていました。
やはり航空機の発達に伴い1972年に運航を中止し、その後MMは現在の世界3位の
コンテナ会社CMA CGMの基になりました。
大桟橋で荷役中ですが、当時は接岸しても艀に降ろすのが普通の光景でした。