【ワークの変遷】クラニオでカラダが変わるとともに。 | ボディーワーカー小笠原和葉オフィシャルブログ

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ココロとカラダに安心を再教育していく『プレゼンス・ブレイクスルー・メソッド』を主宰、また横浜市都筑区、緑と光があふれるボディーワークスペース『BodySanctury(ボディ・サンクチュアリ)』でクラニオをベースとしたオリジナルのボディーワークを施術しています。

1【ワークの変遷】ボディーワークに出会った頃
2【ワークの変遷】思えば最初がクラニオだった

なぜか続けることになったクラニオの学び。
セッションを受けるたびに
カラダが「ほんとにリラックスする」ということを
覚えて行っていることを実感。

ヨガで相当リラックスできるようになったと思っていたので
まだまだ先があるのかと。

そしてその頃、
小さいときから鼻炎だったわたしが
「両鼻がスースー通っている感覚」を
人生初体験!


なんか・・・スースーして寒い
と慣れるのにしばらくかかりました。
(頭蓋骨の骨、中の膜、液、あらゆるものが
調整されたのですね)

そして上級クラスの人たちの
練習セッションのモデルになった帰り道
すごく心が軽くて
「小学生の時にランドセルをしょって帰る帰り道みたいな気分」
と思ったのをすごく覚えています。

あんな
良くわからないワークなのに(笑)
カラダが軽くなるとか、ココロが軽くなるとか
すごいことかも知れない・・・
でも地味すぎてお金とってする気がしない・・
と思っていました。

が、
エサレンのセッションの中で
少しだけ取り入れると
終わったあとにそのクラニオの数分に
「あれはなに?なんかすごかった」
と、フィードバッグが集中するのを目の当たりにして
クラニオだけのセッションもやろうかしら、
とやりはじめたのが
多分2005年あたりです。

でもまだ自分の中で
「地味すぎて」
受けるのは好きなのに
メニューとして押し出すのがまだ躊躇されていました。

エサレンのあの
ハートウォーミングな感じも
大好きだったし。その感じはメニューとして分りやすかったし。

ボディーワークとは
寄り添うこと
気付きを与えるもの

という定義が自分の中であった時代。

そんなワケで、しばらくはエサレンジャーとして
セッションをしていました。



まだまだつづくよ