あ・・・あいたなあ、間が。
はじめて行った国はインドでした。
なんか続けるのが難しすぎる展開にしてしまった自分を恨む。
まあなんにしてもだ!(強引に展開しようとしている)
人の生き死にについて考えるとき、答えは出ない。
答えが出ずに引きずっているものにまた引っかかってくるものをすくいあげて、
自分の手の中で育てるしかない。
「お前も早くどこか行かないと、インドでのことが夢の中のことになっちゃうよ」
Tに言われたそんな言葉が時々なんとも言えないプレッシャーになって
頭の中によみがえることがある。
どこかに行くことじゃなくてもいい。
でも夢の中のことにしちゃいけない、って。
ヒロさんが亡くなった後、
渡印の際に現地でお世話になったインド人男性からたびたびレターが来ていた。
彼は、現地で貧しい子どもたちに教育や職業訓練を受ける機会や場所を作る
NGOを設立して精力的に活動していた。
そしてわたしは彼にめっちゃ惚れられ、日本では受け取ったことのないような
熱烈なラブレターを数年にわたってもらい続けたものだがそれはまた別の話である(オイトイテ)。
ヒロさんも、インドの貧しい子どもたちが教育を受けられるようにと奨学金の
システムを作って、そもそも私たちが行ったのもその現地でのアレンジのための
旅に同行させてもらったのだった(ということだったように思う)。
ヒロさん亡き後は、その遺志も継いで「ヒロ・プロジェクト」として、学校の建設とコミュニケーションセンターの設立のために奔走していた。
何度もそのお知らせを受け取っていたが、なんとなく直視できずに
気になりながらもどこかに行ってしまっていたのだが。
自分の子を腕に抱くようになって、
「世界中に子どもたちがいる」という視点が「この子が世界中にいる」というようなおかしな感覚に変わって来た頃、
そして、あのキラキラした目の子たちのことを、
子どもたちのために働いていた人たちのことを、
思わずにはいられなくなって来た頃、
またもや熱烈なラブレターがインドからやって来たのだった。
だが残念ながら(?)、お互いに結婚し子どもも産まれて、
かつてのような甘酸っぱいラブレターではなく、
寄付をしてくれ
というラブレターだった、笑。
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