14でいいのか?
なにしろ、
青臭い言葉ですが、
等身大って感じなのでしょうか。
異様に何かを目指し、
その差分をはかり、
焦ったり自分の価値を下げたりという、
そういうことから注意が離れて行った中で、
ま、いいか。
しょうがないよな、これを私が得意じゃなかったりできなかったりするのは。
と思うシーンが劇的に増えまして、逆に
これどうなんだ?
なにか「あきらめて行っている」のかしら。
と、ふと疑問に思った訳です。
ふるさきさんが言っていました。
「強みとは、本当に当然に出来てしまうことで
それをやることは淡々としているので、飽きてくる」
「強みで進むことを続けていると(努力している感じがしないので)進んでいない気がしてくる」
って。
私ってこんなことが足りないわ → いかん、がんばろう
から
私ってこんなことが足りないわ → ・・・ふーん。
というこのシフトが妙に「無努力」な感じで、
そこにちょっとざわざわしたんですね。
でも、感じとしては明らかに悪くなくて
「広がってる」「よりリラックスしてる」という風に感じるのですね。
あきらめ、って何を含んでいるんだろう、って感じてみました。
きっぱりした感じはなく、どんよりため息をつく感じで、後ろ向き。
落胆、どこか被害者的な視点、自分一人の視点な感じ。
では受容は?
なにか慈しみ、みたいなものを感じるな。
一つの事実を受け入れることで、もっと大きな何か、
私全体とか、私以外の人とか、人生とかを
すべてズームアウトして「そうか~そうなのね~」と受け入れる感じ。
それで、
あきらめー落胆+慈しみ=受容
と書いていたのだけど、なーにーか
大事なパラメーターが足りない気がして。
そしたらですね!
このシリーズを書いているうちに、エサレンジャーの雅子さんが
Facebookでシェアしてくれたある動画に答えがあった~。
つーづーく♪