皆さんおはようございます、菊澤多門です。


「デジカメを買った」

という話を孫から聞いたおばあさんが

「これデジカメにあげな」と孫に

キャベツを手渡したという話がありました。


おばあさんはきっと

「そういう亀」だと思ったのでしょう。


そのおばあさんのように

例えばニートを知らない人が、

「オレ、ニートやってっからさぁ」という

言葉を聞いたらどう想像するでしょうか?


「よくわからないけど
ニートというのはやるものなんだな」

「最近ではそんな名前の
仕事か趣味があるのだな」

おそらくそのように思うでしょう。


だけどニートというのは

「働く気がなくて働かない若者のこと」

ですから、ニートをやっているというのは

何もしていないというのと同じなのです。


ニートなどという言葉を使うから

分かりにくくなってしまいます。


ニートという呼び方をせずに、そのまま

「働く気が無くて働かない若者」

と呼べば、

ニートの数は減るのではないでしょうか?


DQN(ドキュン)という呼び方にしても

なんとなくカッコよく聞こえる

かもしれませんが

「目撃ドキュン」

という番組に出演していたような、

「知識や知能が乏しくて非常識な人」

という意味なのですから

DQNなんて解りにくい呼び方をせず

「知識や知能が乏しくて非常識な人」

と呼べばDQNは減ることでしょう。


プータローにしてもそうです。

プータローと言うと

なんだか可愛いらしい印象を

受ける人もいるでしょうが

「働けるのに働いていない人」

のことなのですから

そのまま「働けるのに働いていない人」

と呼べばきっとプータローは減るのです。


ちなみに暴走族って呼び方には

「オレたちは暴走するんだぜ」みたいな、

なんだか勇ましい感じがあります。

だからなのか福岡県警は

「珍走団」と呼ぶことを勧めています。
(写真はお借りしました)


「珍走団」と呼べば

「ブザマに走っている人たち」

という滑稽な印象が伝わりやすいので

「珍走団」と呼び続ければ

きっと暴走族は減るのです。


レッテル張りというものには

良くも悪くも効果があるもので


「人は扱われた通りの人間になってゆく」

のだとも言われています。


高い期待値で見られると高い成果が出て

期待されなければ低い成果が出る。

これをピグマリオン効果とか

ゴーレム効果というのですが、


「おぉっ!暴走族だ」

という見方をしてしまうと

「暴走族として見られているんだから

暴走族らしく派手に暴走しなきゃ」

と、本人はピグマリオン効果で

余計に張り切る可能性があります。


しかし、「アハハ、珍走団かぁ」

という見られ方をすることによって

「せっかく暴走しても

カッコ悪いと見られる」

というゴーレム効果が働き、

暴走族が減ってゆく可能性があるのです。


現代では外来語や和製英語、

造語や流行語などもはびこり、

何気なくも気付けば

それらをついつい取り入れている方が

多くいらっしゃることでしょう。

かく言う私だって心当たりがあります。


しかし私たちは日常の会話で

「意味のやり取り」

をしているのですから

誰にも分かる日本語を話せばいいのです。


「教育勅語」や「修身」という

徳育を学んだ世代の人から見れば

「ニート」や「DQN」や「プータロー」

などという、意味がわかりにくい言葉や

「暴走族」「珍走団」という

存在そのものが不可思議でしょう。


意味のある言葉をきちんと使えば

「意味の間違え」を

防ぐことができるのはもちろんのこと

日本人の精神性も

高まるのではないでしょうか?