みなさんこんにちは菊澤多門です。


兵庫県の

あるヘンピな分かりにくい場所に


老夫婦が営む「やまにし」という、

定食専門店があります。


この店は場所が分からない人なら

探してでも行くような人気店で

38年もの間、地元の人に

愛され続けているお店です。

昼間のお客さんだけで

1日の売り上げは上がってしまうのだとか。

15番定食


ちなみにオーナーである老夫婦は

山西さんという苗字ではありません。

「やまにし」は鹿嶋神社という神社で

「付けていただいた」名前なのだそうです。

38年も愛され続けたのは

その御利益によるものかもしれません。


そしてその後20年間は

毎月の一日と十五日に

鹿嶋神社へお参りをしたのだとか。


もしも時間だけを38年間巻き戻せて

もう一度、お店を始めるとするならば

やっぱり老夫婦は

鹿嶋神社へ行くことでしょう。


ある朝、私は腰に激痛を感じて、

それ以来2ヶ月以上、

腰痛に悩まされていましたが

ある日、神戸神社という神社に参拝して

腰痛が治るように祈ったところ、

帰りの鳥居をくぐった途端、

嘘のように腰痛が無くなりました。

その後も一切腰痛はありません。


そんなの単なる偶然だ

という人もいるだろうと思いますが

どうであれ、次も腰痛が出れば

私は神戸神社へ行くことでしょう。

このような有り難さを

理屈で解明することなんて

必要の無い事なのかもしれません。

「これは本当に神社のおかげなのか?」

などという気持ちを持つことそのものが

神様に対して失礼なものだと思うのです。


しかし神様というと宗教だと思い

宗教というと紙面によく出る

オウムのような新興宗教を想像して


最澄、空海、日蓮、親鸞、

アメノミナカヌシノカミ

アマテラスオオミカミ

オオクニヌシノミコト

など、何もかもひとまとめに嫌う人や

知ろうともせずに

「私は宗教が嫌いです」

などという人の割合は

特に若い人に多いでしょう。


そんな方々に今日は神道(しんとう)の

お話を聞いていただきたいと思います。


毎年必ず死者が出るのに

それでも危険な「モチ」を食べる日本人を

外国人は「変」だと思うようです。


また、
武士には太腿に傷があることを

美徳とする時代があったそうです。

それは「股ぬき」をやった跡で、

「股ぬき」とは自分の太腿に

自分で刀などの刃物を

突き立てることなのです。


外国人のみならず、たいていの人は

「変」だと思うことでしょう。


何故、変だと思うのか?

単に
「自分が知らない事だから」なのです。


それを念頭に

聞いていただきたいと思います。


永遠に続く神々の命が

私たちの肉体には宿っていて

その肉体は滅んでも霊魂は不滅。


そして大自然にも神々は宿っておられて

私たちのご先祖様はその命を

大切にまつってこられたのです。

考古学では15000年も前から

そうしてまつられてきた事が

現時点で明らかになっているのだそうです。


天皇の歴史だけで見ても2678年、

初代の神武天皇から125代の今上陛下まで

神事をとりおこない

アマテラスオオミカミ様と

一緒になってこられたのです。


相撲だって

祭りだって、

神事ですし、神道なのです。

そしてそこには「祓え」があるのです。

「祓え」によって、

枯れてしまった気「ケガレ」を清め

自分に元々あるはずの神性を取り戻して

ご先祖様でもある神々とつながるのです。


神道はその確信を極めてゆく道でもあって

華道、茶道、書道、合気道、柔道、剣道

居合道、弓道、空手道などのような

「道」なのです。

ですから「私は宗教が嫌い」

というくくりで「神道」を見ることは

「私は宗教が嫌い」だから茶道が嫌い

「私は宗教が嫌い」だから空手道を信じない

というようなものなのです。


日本は神の国で、

天皇陛下も私たちも神々の子孫であり、

誇り高い歴史があることは

古事記にも日本書紀にも明らかです。


GHQが戦後の日本に

愚民化政策を実施する前までは

家に神棚があるのは当然で

神道を「信じる」どころか

神道は人々の生活そのものだったのです。

ご先祖様たちは「お天道様はお見通し」 

という気持ちで

「お天道様に恥じない」

毎日を過ごしたことでしょう。


GHQは農地改革を行い神道を禁じて

日本国民が世代交代をすれば

日本人を神社から

引き離すことができると考えたそうで

確かにそれは計算通りになりました。


神社は困窮するように追い込まれ

日本国民は神社から離れて行きました。


しかし当時のGHQが予想もしなかった事が

現代になって起こってきたのです。

愚民化、
弱体化、
白痴化されたはずの私たちなのに

「なんだか有り難い」という理由で

パワースポット巡りをする人や

御朱印集めをする人が急増しました。

神道や神社や作法をよく知らなくても

「なんだか有り難い」

というのはわかるのです。

奈良縣護国神社の宮司さんは

御朱印集めをする人が急増したことに

「これからの日本が変わってゆく」

という期待を寄せておられました。

私もそう信じます。

戦後に神道を禁じられ、

世代交代までもしたのに

「なんだか有り難い」と神社へ行く人が

急増しているのですから。


あなたは神道を信じていますか?



関連記事はこちら