みなさんこんばんは菊澤多門です。


皆さんは、
柏餅やダンゴなどを食べる時、

何色を選びますか?

私はたいてい
緑のヨモギを選びます。

それは身体に良いという理由なのではなく、

なんだか自然に手が伸びるのです。

そして「ありがたい」のです。



みなさんにも、

そんな
「ありがたい」ものが

あるのかもしれませんね。



70余年前は

日本のあちこちに

アメリカの戦闘機が飛んできて

爆撃したり、

焼夷弾で燃やし尽くしたり、

低空飛行で機銃掃射したり、


たくさんの民間人が殺されました。
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だけど本当は、

戦争には国際法という決まりがあって、

民間人を殺す目的の軍事行動はしちゃいけない

のです。



鹿児島県には山田川という川が流れていて

その時、少年は
エビをとっていたのだそうです。


とったエビをヒモに通すと
1メートル以上になったそうで


それはそれは「大漁」だったとのこと。


そんな上機嫌な最中、


ふと、山の方を見ると

アメリカの戦闘機が小さく見えて

あっという間に

何もかもひっくり返る程の轟音が鳴り響き、

その戦闘機は
低空飛行してきたのだそうです。


少年は偶然にも
タコツボと呼ばれる穴を見つけ


飛びこんで隠れました。


だけど上から見ると
頭が丸見えになるので


近くにあった小さなヨモギをちぎって


頭の上に置いたのだそうです。


小さなヨモギを

頭の上に置いたところで

もちろん頭は丸見えでしょうが、

おぼれている人が

ワラをつかむような気持ちとは

そういうもの

なのかもしれません。


ヨモギが
どれほど役にたったのかはわからないけど


結果、
少年は一命を取り留めました。


その後、
通りすぎた戦闘機の後方には

アメリカ兵が
こちらを向けて銃を構えているのが

少年の目には、
はっきり見えたといいます。


それから戦闘機は、

山田川にかかっている

橋を狙って爆弾を落としたけど命中せず


低空飛行中に翼が木に当たり、

クルクル回って

墜落して炎上したのだそうです。


開戦当時、

日本が世界に誇ったゼロ戦では

もう、
太刀打ち出来ないような


とても高性能な、
その戦闘機は

物資が無くて、

抵抗するすべも無い

敗戦直前の日本に

はるばるアメリカからやってきて、

自分たち白人が作った国際法を破ってまで

機銃掃射する為に低空飛行したけれど


木に当たって墜落したのです。



もしもその時、

そんな滑稽な結末にならず

鹿児島の少年が殺されていたなら、

その後、少年は

私の母親と出会うこともないわけですから、

私は存在していないでしょう。


そんな話は
たくさんあるのかもしれません。


ご先祖が兵隊として出征したけれど

ちょうど戦争が終わるタイミングだったから

生還できたというお話もあるでしょう。


ご先祖が戦場で果敢に戦ったけど

偶然にも生還できたというお話もあるでしょう。


ご先祖が空襲でうまく生き残ったという

お話もあるでしょう。


私やあなたが、

今 当然のように生きていられるのは


私たちのご先祖が生き残った一方で

無念の無残な死を遂げた方々が

たくさんいらっしゃる

おかげでもあるのですね。

「東京大空襲」

に代表される


「空襲」も

また、
「原爆」にしても


「これだけ大勢の日本人を殺したのだから

もうこれで今日は充分だ」

と、
アメリカを始めとする連合国軍が

満足するくらいの

日本人が殺されたのです。


今では

原爆ドーム前や

ひめゆりの塔前で

ピースサインをして

記念撮影する人までいる

世の中になってしまいました。


私たちの日本を守る為
散華(戦死)なさった兵士はもちろん、

戦争で犠牲になった方々に感謝と哀悼の

気持ちを心から捧げてこそ、

私たちはこの国に「生きる意味」を

知る入り口に立つのかもしれません。


そんな思いを

餅と一緒に噛みしめる奴も

いるのだと

よもぎ餅を見た時に

一瞬でも思っていただけるなら

とても嬉しいです。