皆さんこんにちは、菊澤多門です。


学力レベルが高い県として有名な福井県。

秋田県と1、2を競います。
福井県は偉人の輩出も多いです。

それには様々な理由があるようですが、
興味深い話を聞いたことがあります。

福井県出身の幕末の偉人、
橋本左内の影響があるだろうという話です。

橋本左内という名前を初めて聞いた方もおられるかもしれません。

どんな人物だったのでしょう。


鹿児島県で神様として神社に祀られている
西郷隆盛は、橋本左内を
「心から尊敬する人物」と人々に語りました。

また、西郷隆盛は死ぬ間際まで橋本左内からもらった手紙を大切に持ち歩いたといいます。


その橋本左内が残した書物に啓発録(けいはつろく)というものがあります。

この啓発録に学び、馴染んでいる、福井県民は普段の心掛けからして違うというのです。

福井県の教育の土台に啓発録があるとも聞きます。


啓発録の主な内容を紹介します。

①稚心を去る
「子供っぽい心」が少しでも残っているならば何も上達しない。

②氣を振う
つねに気を奮い立たせる心がけこそ重要である。

③志を立つ
志を立て、努力してゆけば、必ず成長する。

④学に勉む
勉強に励むことが肝心。

⑤交友をえらぶ
よい友達と交わってこそ、相手の長所短所から学べる。
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江戸時代末期から明治時代にかけて、
偉人が続出しました。

当時、
佐幕派と倒幕派に別れて国論は二分しますが、
結果として、明治維新が白人の侵略を防ぎ、
日本を護ったのです。

橋本左内は、井伊直弼のさじ加減ひとつで死罪にされます。(安政の大獄)

この時、橋本左内は26歳という若さで命を落としましたが、
その後、水野筑後守は、 

「井伊大老が橋本左内を殺したというその罪だけで徳川氏は滅亡しても仕方ない」

とまで語ったと伝えられています。

ちなみに、
その橋本左内が啓発録を書いたのは、15歳です。

もはやここまでくれば、
偉人というには物足りません。

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                                                    橋本左内
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