シューベルトのミサ曲第六番のKyre。なんともいえぬ天国的な長さ。すべてが清らかでなんの陰りもない穏やかで明るい時間がそこにはただよっている。
モーツアルトの大ミサ曲のKyrie.。やや深刻に始まるがやがてそれは壮麗で清らかな晴れ空に。モーツアルトの音楽の翳りはそれはモーツアルトの心のやさしさの裏返しではないかと思ってしまう。
それにしてもこの二人の天才は生前にはそれほど大きな富をえることもなく、権力者となることもなく、つまりエスタブリッシュメントとなれたわけではない。むしろ世間にそれほど認められたわけではなく、むしろその人生を終えるころは一介の貧者にすがいなかったようである。
だが残されたミサ曲のずばぬけた美しさ、壮麗さをさえたものはなんであったのか?世にでることも危ぶまれる創作に命をかけさせtものはなんだったのだろうか?
世俗の富も名誉も地位も彼らには関係のないものであったのだろうか?
現代の大芸術家=富める者、権威ある者、名声を恣しいままにしようとする者達とは違っていたようである