生まれてはじめて買ったクラシックのLPレコードはカラヤンとフィルハーモニアの運命、新世界だったのですが。。。

その後フルトベングラーの運命を聴き同じ曲とは思えないほどの衝撃をうけ、カラヤンを聴くことはなくなりました。カラヤンの音楽は前ががりのテンポでたんたんと音楽が進むだけで気迫というか情熱というかそういうものを全く感じなかった

そのご10数年たって、スメタナのモルダウのカラヤン、ベルリンフィル盤を買った。

綺麗な音がただ平板にながれていくだけというイメージは全く感じられなかった。クーベリクの我が祖国のような感動は何も感じなかった。


カラヤンはやはり当時からいわれていたように、音楽からパトスを組織的に消素というそういう立場の音楽家であったようである。ベームの固さやセルの冷たさ(当時はそのようにいわれていた)とはまた別に、


音楽から概念的なものを意図的に捨て去って音のページェントとする、それが彼のやり方であったようであり、それは」また、エキッセントリックといってもいいものではなかったのだろうか。


ゼムリンスキーの交響曲第一番を聴きながら