最近、イギリス映画を立て続けに観みました。
「Dr.パルナサスの鏡」と「キングスマン」シリーズの3作です。明らかにハリウッド映画とは違う作風に驚きました。
何に驚いたかと言えば、紳士の国のイギリス映画のお下品でショッキングな映像に対して、自由な国アメリカのモラルを守りつつエンターテイメントを追求する姿勢の違いです。
一言で言えば、ブラックユーモアのイギリスに対して、根明なエンターテイメントのアメリカという対比です。まるで影と光です。
ここから見えてくるのは、まさにお国柄という人間性です。
イギリスはベースが紳士です。つまり、常に自分を律することを旨とし、自制心とマナーを重んじます。だからこそ、エンターテイメントくらいは羽目を外したいのかもしれません。
一方、アメリカは自由の国です。個人の自由を尊重するお国柄です。だからこそ、エンターテイメントくらいはモラルを持たせないとたがが外れてしまいます。
それに加え、移民の国でもあるので分かりやすいエンターテイメント性も求められます。
こうやって社会性とのバランスを取っているのですね。
イギリスはかの有名なコメディグループ「モンティ・パイソン」を輩出した国です。1969年からBBCで放送された「空飛ぶモンティ・パイソン」を再放送で観たときは衝撃を受けました。
斬新でシュールすぎる映像、オチを無視した構成など、破壊的なインパクトがありました。当時もかなりBBCとはもめたようですが、今だと放送コード的に完全にアウトです。苦笑
そのメンバーだったテリー・ギリアム氏が監督したのが、前出の「Dr.パルナサスの鏡」です。そのシュールさの中にも独特な美しさがある映像は健在でした。
そして、今回紹介したい本が人間の悪態を科学したエマ・バーン氏の著作「悪態の科学」です。
面白いのは、全員で下品な隠語を使うチームの方が、使わないチームよりも労働効率がよく、メンバー同士の結びつきが高いという研究結果です。
そこには、人間が人間たる所以があります。子供があるとき汚い言葉を使い出すのにも理由があったのです。それは、感情と社会性に関係があります。
隠語や悪態はまさにそこに直結しているということです。確かに、清廉潔白を表に出す人はあまり信用できません。それは明らかに嘘をついているからです。
確かに、人の感情には世間一般的には綺麗な感情と汚い感情があります。実は、感情には綺麗も汚いもありません。そのどれも私たちの大切な感情なのです。感情は感情、それ以上でもそれ以下でもありません。
問題なのは、その感情に突き動かされて実際に行動してしまうことです。どんなに汚い感情でも持つだけなら自由です。もっと言うと、想像だけならまったく問題ありません。
ただ、それを実行してはいけません。もし、その行為が反社会的であったり、法律に違反する行為であれば社会的に罰せられます。
想像にはタブーはありません。ある意味、それを映像化したのが「モンティ・パイソン」だったのではと思います。
つまり、実際にやっては犯罪ですが、フィクションでやっしまえば、ある意味、芸術となります。
そして、学問にもタブーがありません。まさにそこにメスを入れたのが、「悪態の科学」です。もちろん、ちゃんと科学していますが、これでもかと面白エピソードも満載です。
以下、ご参照ください。