九


やっと法要が終わった。住職が帰ると、僕は再び庭を見に行った。隅々まで眺めると、そこには僕がボールをぶつけて鉢を割ってしまった盆栽があった。その鉢は、割れたところが崩れてこないように針金でしっかりと括られていた。
「母さん、まだ、あの盆栽あるんだね?」
僕が後ろを通りかかった母に言うと、
「あれね、そのままにしてあるのよ。大事なものだから」
と、母は静かに僕の肩に手を置いた。母の顔を見たら、何となく気分が落ち着いた。
「よく見てみると、家の庭、ずいぶん雑草が茂っているね」
「お父さんが元気なときは、よく手入れをしてくださったけど、お母さん一人じゃね」
僕は母を責めてしまったようで、少し心苦しかった。この場の雰囲気を変えようと思い、
「お母さんが盆栽をやったら?せっかくあるんだし」
と言って、僕は趣味を持たない母に盆栽を勧めた。すると、
「ダサイわ、盆栽なんて」
また、例のごとく、姉が会話に割り込んできた。
「だいたい、盆栽なんてオヤジがやるもんよ。今はガーデニングの時代よ、ガーデニング。盆栽なんて古い、古い」
「今は何でも横文字なのね」
「ガーデニングはオシャレでいいわよ。お母さんがやるなら、絶対ガーデニングよ。もっとも、雄介には全然似合わないけどね」
姉はまた僕に憎まれ口をたたいた。僕は姉の挑発には乗らずに、庭に出て、一つの盆栽を手に取った。小さな盆栽だが、かなりの重量感がある。  僕がその盆栽を持って家に入ろうとすると、母はすぐさま、テーブルの上に新聞紙を敷いた。
「そんなの汚いわよ!」  姉の言葉を無視して、僕は盆栽を居間に持ち込み、テーブルの上に置いた。
「何だかいい感じだね」  僕は思わず感想を漏らした。どうやら、盆栽の持つ独特な雰囲気に呑まれてしまったようだ。
「本当ね」
と、母も言葉を返し、母と僕は一緒に盆栽を眺めていた。そんな二人に姉は、
「盆栽のどこがいいのよ!」
と言いたかったのであろうが、何も言わずにそそくさと二階へかけ上がってしまった。


     十


盆栽を近くでよく見てみると、枝が幹から四方八方にたくさん伸びているのがわかる。
盆栽に見入っている僕に、母は、
「ちょっと待ってて」
と言うと、台所へ足を運んだ。
しばらくして、母は大きな黒いプラスチックケースを持って現れ、それを僕の前に差し出した。それは少し埃をかぶっていたが、母はつけていたエプロンでそれをはらった。
「盆栽で使う鋏には、いくつかの種類があるのよ」  そう言って、母はプラスチックケースを開けた。すると、そこには五本の鋏とピンセットがきちんと並べられて入っていた。
「ほら、見て」
母は嬉しそうな顔をして、鋏のうちの一本を取り出した。
「これはね、盆栽の枝を斬るときに、いちばんよく使われる『剪定鋏』よ」
ふだんは多くを語らない母が静かに話し始めた。僕も母の話を聞きたくなった。
「そして、これが枝を元から斬りやすいようにできている『枝斬り鋏』なの」
鋏を取り出しては説明を加える母。いつも冷静な母だけに、少し興奮した様子にさえ感じられた。 さらに母は続けた。
「それから、これが『芽斬り鋏』で、剪定鋏よりも刃が小さくて薄い鋏よ。それに、『針金斬り鋏』と言って、幹に巻いた針金を斬るこんな鋏もあるのよ」
「母さん、ずいぶん詳しいね。すごいや」
僕のほめ言葉に、母は照れくさそうに笑った。
「お父さんに教え込まれたのよ。夫婦の共同作業とかなんとか言っちゃってね」
母はそう言うと、もう一つ盆栽を居間に持ってきた。
「これはミサちゃんが生まれたときに買った盆栽よ」
母はその盆栽をテーブルの上に置くと、また、ゆっくり話し始めた。
「これは松の仲間なのよ。盆栽にもいろいろ種類があって、花を咲かせるものもあれば、果実を実らせるものもあるのよ」
「へえ?」
「盆栽をやっている人は、日本人だけだと思うでしょう?」
「違うの?」
「海外でも盆栽は盛んなのよ。盆栽の大会まであるんだから」
盆栽に対する父母の思い入れが尋常でないことは、この僕でさえも感じとることができた。
「お父さんがね、いずれはミサちゃんも雄介も、家を出て行ってしまうから、盆栽を子どもだと思って育てて成長を楽しもうって言ってね。それで、二人が生まれた日に、それぞれ一つずつ買ったのよ」
母の話に僕は驚いた。僕がいつになく真剣に話を聞いていたからこそ話してくれたのかも知れないが、体育会系の代表のような父が、そんな『夫婦の約束』といったロマンチックなことを考えていた男だとは思ってもみなかったからだ。
「そうなんだ?じゃあ、僕の盆栽が二十四歳で、姉貴の盆栽が二十八歳ということになるね」
「そうね。この『子』たちは、あなたたちと同級生よ」
「ところで、僕が生まれたときに買った盆栽はどれ?」
「雄介が生まれたときに買った盆栽は、雄介が鉢を割った盆栽よ」
「え?っ、じゃあ、僕は自分で自分を壊しちゃったわけ?」
「そうなるかしらね。自滅かしら??」
母の冗談に、僕は思わず笑ってしまった。母も笑っていた。母と一緒に笑ったのは何年ぶりだろう。
「でもね、鉢は壊れても、根がしっかりしていれば大丈夫よ」
そう僕に言い残して、母は台所に向かって行った。