2024年3月19日死去 81歳。公式サイトで発表 

 

「 脳神経外科医福島孝徳先生は 米国にて 永眠されました 」 

私が 福島孝徳先生の事を知ったのは 20年前 ビックリマーク 年間平均 600例の手術を

 

成し遂げ、13年間は 一人も死亡例 重篤な合併症になった患者さんを

 

出していない 治癒率も99% リアル ドクターエックス 病院嫌いの私が唯一 

 

信頼できる 天才脳神経外科医 「 奇跡の指先と呼ばれた医師 」 真顔

 



【 福島先生の話 】

私のオフィスには 世界各国から毎日のように 手術依頼の手紙や

 

フアックスなどが届く。 そのうちの半分以上は 他の病院に

 

「 もう駄目だ 」と言われて、藁にも縋る思いで書かれたものだ。

私は これまでも、手術不能とさえいわれているような難しい症例を

 

たくさん手がけてきた。私にとっては 神様が許す範囲で 誰もが

 

やろうとしないような困難を極める手術に挑み 患者さんを全治させることが

 

使命である 神様を超える事はできない だから 神様の許す範囲で

私は 全力を尽くして 患者さんを治してあげたいと思っている 。


「なぜ 福島先生は 自分の家族を犠牲にしてまで、他人のために尽くすのですか」?

訊かれることがある それに対して、、、一言で答えるのは難しい だが 病気で

 

苦しむ人を助けてあげた時の何物にも代えがたい喜びと 使命感 正義感が

 

 私を駆り立てるのである 涙を流して喜んでくれる患者さんの姿を見た時

 

「 この仕事をして 本当に良かった 」と思う 患者さんの喜ぶ顔が見たいから 

 

今日も 私は 医者を続けている 。

 



福島先生は 脳神経外科医として歩み始めた1970年代から臨床の現場にこだわり、

独自の視点から低侵襲・最新の手術を手技を考案し、驚異的なペースで手術 

 

患者に負担をかけずに、合併症のない きれいな手術による一発全治を

 

はたすことこそが、福島さんの医療に対する姿勢だった ビックリマーク

福島先生は 白足袋で手術に挑む姿が有名 誰もが「 なぜ ?」 という

 

疑問を抱くに違いない 。 普通手術は 両手だけで行われるものと

 

思われるだろうが 先生は常に両足も使っているのだ ビックリマーク

脳外科の手術は 一滴を争う出血量との戦い  真顔

顕微鏡のズーミングやフォーカシング、バイポーラのスイッチング、ドリル、

超音波腫瘍吸引器などの動きは 全て足元のへダルで調整するようになっている。

つまり、両手、両足を、それぞれ独立して動かす 独自の術式で手術を行う ビックリマーク

このような手術スタイルなので靴をはいていると、ペダルを操作する微妙な

 

力加減がわからない。私も造園業の仕事では 地下足袋を必ず使用する、

 

地下足袋は 本当に優れた日本の履き物だ グッド! 木に登る時 微妙な感覚が

 

足の指先に伝わり枯れた枝を一瞬で見分けて落下防止に繋がっています ビックリマーク

 



 

福島先生48歳のとき、選考委員会の外科のある教授は「 日本一の実績をもち 

 

世界でも注目されるような医者が脳外科にいたら かえって困ります 」

「大学医院というのは 外科と内科が中心だから 脳外科が目立ってもらちゃ困る」

政治的なしがらみが いまだに残る日本の医療 「 黒い巨頭 」

出る杭は打たれると 実感した瞬間 日本の医学界に疑問を覚える

 

福島先生は 一人 戦う場をアメリカに移して 日本の「 サムライ脳外科医 」

 

神の手と称される手術手技 「 鍵穴手術(キーホールオペレーション)」

 

頭部に10セント硬貨ほどの小さな穴をあけ、顕微鏡を使って患部を切除・縫合する。

 

患者の予後を一番と考え、この超人的な技術により、通常の開頭手術に比して

 

大幅に患者の負担が軽減され、世界中の患者から絶大な支持を受け、  

 

アメリカの医療関係者から福島は 「 神の手を持つ男 」「 The Last Hope 」と

 

賞賛されていた ビックリマーク

 



福島先生は 約50年以上にわたり、日本ばかりか、米国を中心とする世界中で、

 

医療の発展に大きく貢献され、数えきれない程の多くの患者様を

 

救済した ゴットハンド 福島孝徳 ビックリマーク 

改めて 安らかな眠りにつかれますよう 心よりお祈り申し上げます。