浮世絵師は多くの分野、名所絵・美

人画・役者絵、戯画などを描き、江

戸六大浮世絵師の歌川国芳も艶本を

書く。

 

艶本「口吸心久莖」(題名の読み方)

国芳の艶本「口吸心久莖」は文政12

(1829)年刊行の作品(筆・画)。

艶本の題「口吸心久莖」だが、これ

をどう読むか…。

 

「口吸」は接吻、この接吻の言葉は

江戸時代になかった。

吸うときにチュウなる音から忠で、

「久莖」の莖は、男根を玉莖と書き

「まら」と読んでいたことから「ら

」と読み「蔵」で、「口吸心久莖

(ちゅうしんぐら)」と題する。

 

 

歌川国芳(作・画)の艶本「口吸心久莖」(文政12・1829年刊行)

 

艶本「口吸心久莖」の序文

序文は忠臣蔵にちなみ四十七士にち

なみ、いろは四十七文字を頭にし序

文にする。

本文・絵もさることながら、いろは

での簡潔・掛詞の表現の工夫が愉し

い。

 

いろとのみ、いへど浮世の情愛は

ろんにおよばぬめうと仲

はなれがたなき、そひぶし(添臥)に

にくらしいほどかわいきは

ほれて、なかなかひとまへを

へだて、いはでの、したつつじ

とかくいろづく花の顔

ちる紅葉とも、つま恋うて

りんきは鹿のつのかくし

ぬれぬさきなるつゆの身も

るいをもとめてみそめこし

をしの浮寝の薄氷も

わってはいれぬ、女きは

かたる妹背の恋の山

よぎの谷間や床の海

たとへ野ずへの草枕

れんりにならぶひよく紋

そのこゝろねをしらゆきと

つねるはだえのむらさきは

ねぶたきそらの、あけのくも

なじみかさねたる恋仲も

らくはしんくか、しんくがらくか

むりをいふのは、男のくせと

うそをまことにつり車

ゐ戸のはたべの茶碗でさへも

のせられてより、あぶなさの

おもひをしりて、そこふかく

くんだこゝろの、むねひとつ

やくそくしたり、せられたり

またの逢瀬はともし火を

けしてしのぶのすりごろも

ふたりがなかを神かけて

こよひは首尾の松のえだ

えりもみどりのうしろ髪

てくだは恋のすがたとて

あじな口説の、もつれ糸

さぐりあてたる、中〱は

きしょう誓紙もいつわらで

ゆらぐたがひの玉の緒は

めにみぬまゝの、憂きおもひ

みはしぇやらぬおぼろ月

しんと更けたる予言に

ゑんはたしょうの袖びさし

ひとり寝る夜は、惚れぬ身の

もとのこころぞ、ましならめ

せきとめられし、にごり江の

すむ水いろの、うわきどうし

京となには(浪速)と江戸とくに〱

 

 

歌川国芳の艶本「口吸心久莖」の序文(いろは47文字)

 

歌川国芳

歌川国芳(1797-1861)は寛政

9(1797)年江戸日本橋に生まれ、

父は京紺屋(染物屋)を営む。

15歳のときに歌川豊国の門に入

る。

歌麿や写楽の版画の版元・蔦屋重

三郎は、吉原から天明3(1783)

年に戯作本や浮世絵の錦絵を扱う

江戸地本問屋が軒を並べる日本橋、

通油町に店を構え、当代一流の文

人と交流し、黄表紙・浮世絵のヒ

ット作品を世におくる。

 

国芳の名が江戸市中に広まるのは、

曲亭馬琴の水滸伝(『傾城水滸伝』

文政8・1825年)ブームに乗じた

錦絵『豪傑百八人之壹人』の大ヒッ

トによる。

以後「武者の国芳」と称される。

 

歌川国芳『逢見八景』

奇想天外の趣向が生んだ国芳の春

画。

天保4(1833)年国芳37歳の作

『逢見(あうみ)八景』。

春画見ながら交わる男女。屋外・

扇面は琵琶湖南部の景色。

 

 

歌川国芳『逢見(あうみ)八景』(天保4・1833年刊行)

 

 

歌川国芳『華古与見』

『華古与見(はなごよみ)』は、天保

6(1835)年刊行。

半紙本彩色に金銀を用いて空摺りを駆

使した艶本で、本作りがいいだけでな

く、国芳の最盛期に描かれた絵である。

 

 

 

歌川国芳『華古与見』(天保6年・1835年、半紙本)

 

江戸の六大浮世絵師といえば、鈴木

春信、鳥居清長、喜多川歌麿、東洲

斎写楽、葛飾北斎、そして歌川国芳

(1797-1861)の名を挙げる。

 

歌川国芳の「口吸心久莖(ちゅうし

んぐら)」の本文は、南北時代に設

定した浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」を

当時の時代(文政12年)に置き換

えて、艶本を書く。

これは艶本「口吸心久莖」(2)に

つづく。

 

 

2023.8.18

「艶本多歌羅久良」(滝沢馬琴「稲荷」歌麿)ー三都物語⑪