フランスの画家のモローは、神話

や聖書を題材にし、想像と幻想の

世界を描いた。

彼の作品は、同時代、世紀末の画

家や文学者に大きな影響を与える。

 

ギュスターヴ・モロー

ギュスターヴ・モロー(1826-18

98)は19世紀末パリに生まれ、父

は建築家で、母は音楽家であった。

20歳でパリの高等美術学校に入学

後、ローマに留学をし、1859年ま

でイタリア旅行をし、寺院を訪ねて

は、壁画を模写していた。

 

ギリシャ神話「オイディプスの悲劇」

こうして、1860年代のはじめギリ

シャ神話の『オイディプスとスフィ

ンクス』の制作に費やした。

ギリシャ神話のなかでもオイディプ

スの悲劇は最も知られている。

 

テーベのライオス王は、神から生ま

れてくる子は、父(自分)を殺すと

いう神託を受ける。

ライオス王は誕生した男の子を山の

中に捨てた。

のち、コリントスの王が、この男児

を拾い自分の子として育てた。

その後成人したオイディプスは、神

から「自分が父を殺し、母を娶る」

という呪いをかけられていることを

知り、これを避けようと放浪の旅に

出かける。

 

オイディプスは、祖国とも知らずに

、テーベの地にやってくる。

道中でライオス王と出合い、口論と

なりを実の父とは知らずに殺してし

まう。

 

そのテーベの地では、スフィンクス

が旅人に謎をかけ、答えられないも

のを喰い殺していた。

 

 

スフィンクスとオイディプス

 

「オイディプスの悲劇」

フィンクスが彼に投げかけた謎は「

朝は4本足、昼は2本足、夕は3本足に

なる動物は何か」というものであった。

答えは、幼児期、生長して2本足、老

いて杖を使う人間である。

 

ギリシャ神話の悲劇はつづく。

オイディプスはスフィンクスの謎をと

き退治した。

その功績で、彼はテーベ王となり、先

帝の未亡人である実の母を妻とする。

 

モロー「スフィンクス(魔性の女)」

 

 

オイディプスにすがりつくスフィンクス

 

モローの出品作は反写実主義的で、精

神性を重んじ、サロンで物議をかもし

た。

モローはスフインクスを若い女の姿で

表現し、ギリシャ神話の物語を、男と

女の葛藤として描いた。

 

この作品は当時の人々に一大事件と

して、注目を集め、批評家たちにク

ールベの眠りを妨げるモローのスフ

ィンクスと論評された。

 

モロ―は言う。

「不可思議な運命に導かれて、

人生の重大な局面にやってきた旅人

は、自分を絞めつけ、苦しめる永遠

の謎に出あう。

だが、心強きものは、ときに甘美で

ときに粗暴な攻撃にたじろがず、理

想を見すえ、自信をもって目標に向

かっていく」という。

 

モロー『オルフェウス』

(オルフェウスの首を抱くトラキアの娘)

トラキアの娘が描くオルフェウスの

首はミケランジェロの石膏像。

モローは「オルフェウスの首と堅琴

がへブロス川に運ばれてトラキアの

岸辺に流れ着き、若い娘に拾われる」

というエピソードを創作。

 

この作品は19世紀の最も美しい作品

のひとつとして『芸術家』(1867.1

.1)に掲載される。

 

 

モロー『オルフェウス』(オルフェウス

の首を抱くトラキアの娘)1865年作

 

ギュスターヴ・モロー

モローは自分が卒業したパリの美術

学校の教授となり、その学生からマ

ティスやルオーの巨匠を輩出する。

 

晩年彼はサロンから遠ざかっていたが、

1889年パリ万博では、個展や特別展示

で注目される。

1898年4月18日にモロー没、72歳。

 

生前のアトリエには油彩画800点、水

彩画575点、デッサン約7000点が残

っていた。

彼が1852年から終生過ごしたこの館

は、遺言により「ギュスターヴ・モロ

ー美術館」として公開されている。

ちなみに初代館長は、モローの遺言に

より、ジョルジュ・ルオーがつとめる。

 

 

 

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