文化祭で民謡を訊く機会が多く

あり、歌にあわせ踊られたりし

もていた。

そこで、気になった民謡「宇和

島さんさ」の歌詞があった。

 

「宇和島さんさ」(歌詞由来)

愛媛県宇和島市に江戸時代に伝わる

民謡「宇和島さんさ」は歌詞から別

名「諸共節(もろともぶし)」とも

いうそうだ。

 

歌詞の由来は、伊達政宗が初代藩主

を務めた仙台藩と、その長男・伊達

秀宗が初代藩主を務めた宇和島藩と

の不和が遠因になったときがあり、

宇和島藩五代藩主が江戸へ出府した

際、仙台伊達家との間で家格につい

て本家・分家と争い、両家が顔を合

わせた酒席にて、仙台家臣が地元民

謡「さんさ時雨」を披露すると、こ

れに負けじと宇和島藩伊達家のお庭

番吉田万助が即興で宇和島の「さん

さ」を歌ったという。

これが「宇和島さんさ」の由来とさ

れ、以後宇和島藩士たちの勇気を鼓

舞するために歌い継がれてきた(「

愛媛新聞」2004.9.20)と伝えら

れている。

 

「宇和島さんさ」の歌詞

即興で歌われた「さんさ」。

この年寛延2(1749)年に徳川家将

軍吉宗が亡くなり、将軍徳川家重に

かわり田沼意次が御用取次になる。

こうした時代の頃の唄である。

 

民謡の歌詞のもとになった「さんさ」

の歌は、親交の酒席のお座敷唄であり

、そのもとの歌詞で思ったのは、江戸

の頃に流行した狂歌や浮世の世界のよ

うだ。

 

竹に雀の先代様も ションガイナ

今じゃこなたと エー 諸共にヨ

 

しかと誓いし宇和島武士は ションガイナ

死ぬも生きるも エー 諸共にヨ

 

君は小鼓 みどもが謡い ションガイナ

締めつ緩めつ エー 諸共にヨ

 

笠を忘れた旅路の時雨 ションガイナ

雨に濡れたは エー 諸共にヨ

 

<伊達家と民謡「竹に雀」>

竹に雀(家紋)

伊達家の家紋は笹竹に雀で、養子縁組

のときに、笹竹が送られるなど、宇和

島藩の家紋は仙台藩と同じく竹に雀の

紋入りである。

 

ションガイナ

「ションガイナ」は、声の調子をとと

のえるための囃子言葉(はやしことば)

。仙台の民謡の「さんさ時雨(しぐれ)

」には結婚式のと「さんさ時雨か 茅

野の雨か 音もせで来て 濡れかかる」

につづき「ショウガイナ ハァ メデ

タイ メデタイ」とつづき、「ション

ガイナ」は(仕方がないな)の意味に

使われている。

 

狂歌「雀と竹」

江戸時代に竹に雀(鳥)に題した恋

の唄、狂歌が流行し、またこれを浮

世絵にされたものがある。

以下蔦屋重三郎版、赤松金鶏撰、喜

多川歌麿画の『百千鳥狂歌合』によ

る。

(雀)綾織主

さだめなき君がこころのむら雀

 つゐにうき名のぱつとたつらん 

 

(山雀)紀定丸

君ハ床をもぬけのくるみわればかり

 ちからおとしの恋の 山がら  

 

(四十雀)宝野敦丸

四十からと君に見えてやいただきの

 色にはちよとつらきご返事   

 

浮世絵「竹と鳥」(鶏と頬白)

(鶏)宿屋飯盛

かけ香の丁子の口はとづれとも

 まかせぬけさの鶏の舌    

(頬白)芦辺田鶴丸

色ふくむ君がゑくぼのほう白に

 さしよる恋のとりもちがな  

 

 

竹にとまるホオジロの傍で交尾する鶏(喜多川歌麿画)

 

『百千鳥狂歌合』の図は四季を追っ

て構成され、喜多川歌麿が描き、寛

政2(1790)年頃に刊行される。

歌はすべて恋の戯れ歌である。

 

民謡「宇和島さんさ」のもとは、こ

うした時代背景のなかで、「君は小

鼓」、「締めつ緩めつ」、「笠(傘)

を忘れた時雨(梅雨雨)」、「濡れ

た」と男と女の節(ブシ)を懸けた

言葉で、お座敷にて愉しんでいたい

たのだろう。

 

この話をすると、担当医の女医曰く。

「あなたの説は妄想で、ほんとのこ

とは、わからないが、浮世絵春画の

見すぎでない?」と笑われた。

 

愛媛県宇和島市では、城山にたつ宇

和島城から毎日夜9時に「宇和島さ

んさ」の民謡が流

れるというそうだ。

 

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