浅草寺の界隈の浅草の地。

浅草といえば、江戸時代の頃

から芸能・文学などで知られた地だ。

 

西参道(おまつり西参道商店街)から

浅草寺にはいる境内の傍には、浅草寺

のことを知ることができる一角がある。

 

 

浅草寺境内に通じる西参道

 

三匠句碑

江戸時代(前期)を代表する俳人三

匠の句が石に刻印。

碑は文化6(1806)年に建立。

西山宗因

 ながむとて 花にもいたし 頸(くび)の骨

松尾芭蕉

 花の雲 鐘は上野か 浅草か                

榎本其角

 ゆく水や 何にとどまる のりの味

 

西山宗因(1605-1682)は肥後生

まれで、大坂に住み談林の俳風を開

く。

この句は西行法師の「ながむとて花

にもいたく…」

からとる。

 

松尾芭蕉(1644-1694)は伊賀生

まれで、「おくのほそ道」は世に知

られ、大坂で没。

 

榎本其角(1661-1707)江戸に生

まれ、蕉門十哲のひとり。

 

台石には明治27年(1894)春現在

の地に移築の由来が記される。

 

 

 

浅草寺境内の「三匠句碑」

 

また北の本堂奥には、「初代並木

五瓶句碑」、「山東京伝机塚の碑」

などがある。

 

 

本堂の奥(北)の「山東京伝机塚の碑」

 

 

「初代並木五瓶句碑」

本堂奥に「初代並木五瓶句碑」の

石碑がある。

寛政8(1796)年に建立。

並木五瓶

 月花の たわみこころや 雪の竹

 

並木五瓶(1747-1808)は大坂

に生まれ、歌舞伎狂言者作者とし

て活躍。

寛政6年に江戸に出て、初代桜田

治助とともに江戸の二大作者と謳

われる。

作品には「富岡恋山開」、「幡随

院長兵衛」などがある。

 

「山東京伝机塚の碑」

「山東京伝机塚の碑」には説明板

がある。

 

 

 

山東京伝

山東京伝(1761-1816)は、浮世絵

師であり、また戯作者でもある。

山東京伝こと北尾政寅の「艶本枕言葉」。

 

山東京伝「艶本枕言葉」

「艶本枕言葉」は、黒摺

半紙本3冊で、天明5(1785)年刊行。

山東京伝24歳のときの作品で、京伝は、

同じ絵師・戯作仲間の秘めごとや自身

の浮気を題材にし、描いた画に文を書

き入れている。

 

 

 

北尾政寅(山東京伝)の「艶本枕言葉」(上巻・蔦屋の図

 

蔦屋重三郎(唐丸)

山東京伝の黄表紙の版元は蔦屋

重三郎か鶴屋喜右衛門がほとん

どで、京伝は蔦屋のことをかく。

絵の中央(大きな文字)の狂歌

がある。

しめてねる 二人が中の  二重帯

 とけてからまる 夜半のむつごと

 

この「からまる」は、蔦屋重三

郎は蔦(つた)の唐丸という狂

名をもち、京伝は「とけてからまる」

を蔦屋と懸けて詠む。

 

太田南畝(四方赤良、蜀山人)

画中の枕頭には「から丸様 赤良」

と宛名書きした手紙があり、差出人

は赤良、すなわち四方赤良(狂歌名)

のことで、すなわち太田南畝(蜀山

人)のことをいう。

 

喜多川歌麿うた丸)

また絵の右上にある書き入れには、

モウあやまり〱、よくふくれるやつ

の、こふいふ所をうた丸にかゝせ

てへ

とあり、「うた丸」は喜多川歌麿

のことで歌麿を記す。

 

この枕絵本のなかで、京伝は同じ

仲間の蔦屋重三郎、

太田南畝、喜多川歌麿について書

き入れする。

 

「艶本枕言葉」(山東京伝)

この「艶本枕言葉」(天明5年・

1785)は京伝の浮世絵・艶本の

最後の作となる。

「艶本枕言葉」刊行の6年後の寛

政3(1791)年、山東京伝の洒

落本の3作(「仕懸文庫」、「娼

妓絹籭」、「綿の裏」)は禁令を

犯したという理由で、版元の蔦屋

重三郎とともに筆禍を受け、京伝

は50日の手錠の刑を受ける。

 

以後画壇から遠のいた山東京伝。

その後の京伝は、寛政5(1793)

年に書画会の収益を元手に銀座に

京屋伝蔵店(京伝店)を開店する。

 

京伝が紙入れたばこ店からだす判

じ物引札が人気でひとを呼び、商

売繁盛する。

以後、江戸では判じ物が大流行す

る。

同年、京伝が新吉原の花魁を身請

けした正妻・菊園が病死。のち再

び遊女・玉ノ井を身請けし妻に迎

える。

山東京伝は文化3(1816)年に

急死、享年56歳。

 

 

山東京伝(北尾政寅)「艶本枕言葉」(天明5・1785年)

 

 

浅草寺境内の西参道側の一角には。

「浅草観光事業功労者碑」、「浅草

観光讃緒の碑」、「映画弁士塚」(

建設者大蔵貢・題字鳩山一郎)、「

喜劇人の碑」(笹川良一建立)、「

瓜生岩子女史の銅像」の碑などがあ

る。

浅草寺の本堂の奥西側には、江戸歌

舞伎ゆかりの地に建立したという九

世市川團十郎の十八番「暫」の銅像

がある。

 

 

本堂奥東の駐車場の西端に「山東京伝机塚の碑」

 

 

 

2022.7.14

鎌倉殿と浅草寺「信仰」ー新東京物語(16)