オランダ語の「解体新書」を訳したひとりの

杉田玄白はのちに「蘭学事始」を書く。

杉田玄白の「蘭学事始」を通して前野良沢

や橋本宗吉などのことを知ることができる。

 

杉田玄白「蘭学事始」

杉田玄白(1733-1817)は、江戸生まれ

の江戸育ち。

父は小浜藩(福井)の医師。玄白は、宝暦

期(1751ー1764)に小浜藩医となり、江

戸日本橋で開業。

明和2(1765)年に小浜藩の奥医師となり、

同年オランダ商館長やオランダ通詞らの一行

が江戸へ参府した際、玄白は平賀源内らと

一行と一緒に滞在する。

長崎屋を訪問したとき、通詞から諭されオラ

ンダ語習得を断念している。

 

玄白の回想録「蘭学事始」によると、中川淳

庵がオランダ商館院から借りたオランダ医学

書「ターヘル・アナトミア」をもって玄白の

もとに訪れる。

玄白はオランダ語の本文は読めなかったが、

図版の精密な解剖図に驚き、藩に相談して

購入する。

偶然にも長崎から同じ医学書を持ち帰った前

野良沢や中川淳庵らとともに「千寿骨ヶ原」

(現東京都荒川区南千住)で死体の腑分けを

実見し、解剖図の正確さに感嘆する。

玄白、良沢、淳庵らは、「ターヘル・アナ

トミア」を1年10ヶ月かて

和訳し、安永3(1774)年に「解体新書」

として刊行するに至る。

友人桂川甫三により将軍家に献上される。

晩年に杉田玄白は蘭学事始を執筆し、のち

に福沢諭吉により明治2年に公刊される。

 

 

杉田玄白の「蘭学事始」

 

杉田玄白「蘭学事始」と橋本宗吉

橋本宗吉(1763-1836)は医学、天文

学、本草学の翻訳を手がけ、日本の電気

学の学術的研究の祖といわれている。

 

杉田玄白の「蘭学事始」に、橋本宗吉の

ことが記されている。

「蘭学事始」には『大坂に橋本宗吉とい

う男あり。傘屋の紋かくことを業として

老親を養い世を営めりと。不学なれども

生来奇才あうものゆえ、土地の豪者ども

見立てて、力を加え、江戸へ下して大槻

玄沢が門に入れたり。』とある。

橋本宗吉と「絲漢堂」

「土地の豪者ども(宗吉を)見立てて」

だが、宗吉は大坂の医師の小石元俊に

見いだされる。

小石は最新の蘭学書を翻訳する者をさ

がしていところ、記憶力の良さで評判

の傘職人の宗吉を、天文学者の間重富

(長涯)と相談し、ふたりが費用を負

担し、オランダ語を学ばさせるために

宗吉を江戸へ送り、橋本は江戸に出て

大槻玄沢の門弟となる。

その後橋本宗吉の訳書「蘭科内外三法

法典」の序文に、小石元俊は橋本宗吉

について記す。

宗吉は4ヶ月の江戸滞在で、オランダ語4

万語を暗記する。

のち宗吉が従事していた小石元俊と間重

富が相次いで大坂を離れると、橋本宗吉

は享和の頃に居を移し、蘭学塾「絲漢堂

(しんかんどう)」を開いた。

 

 

橋本宗吉絲漢堂跡(大阪市中央区南船場)

 

橋本宗吉と「エレキテル」

橋本宗吉は、若い頃からエレキテルに関

心をもち、40代にエレキテルの研究に没

頭する。

オランダの百科事典の記述、図版を挿入

し、「エレキテル訳説」、「阿蘭陀始制

エレキテル究理原」を著した。

橋本宗吉は単に原理を解説しただけでは

なく種々の実験を行った。

 

 

中喜久多の橋本宗吉電気実験の地(現大阪府泉南郡熊取町五門)

 

「阿蘭陀始制エレキテル究理原」には、ペ

ンジャミン・フランクリンの凧を使った雷

の実験のごとく、泉州熊取谷の門人中喜久

多が高さ19間(約40m)の松の木を使い、

「天の火を取る実験」を行ったことが記さ

れている。このときのことを岩橋善兵衛(

泉州貝塚出身)が描いた絵を橋本宗吉は模

写し、実験の様子を説明している。

 

 

 

橋本宗吉「エレキテル究理原」(文化8年・1811年)の図

 

橋本宗吉「シーボルト事件」

文政10(1827)年、大坂で切支丹婆逮捕

事件が起こり、この事件を契機に橋本宗吉

の塾・絲漢堂に出入りしていた藤田顕蔵が

これに連座し捕縛され、翌年シーボルト事

件が起こる。

 

この頃に橋本宗吉は、広島竹原に隠遁し、

天保元(1829)年に大坂に戻り、天保7

(1836)年に死去し、念仏寺(大阪市中央区

上本町)にて葬儀がおこなわれる。

 

参考(メモ)

1763(宝暦13)年 橋本宗吉誕生

1774(明和11)年 杉田玄白「解体新書」刊行

1788(天明 8)年 橋本宗吉、江戸へ出て大槻玄沢に師事。

1811(文化 8)年 橋本宗吉「阿蘭陀始制エレキテル究理原」

1815(文化12)年 杉田玄白「蘭学事始」

1828(文政11)年 シーボルト事件

1836(天保 7)年 橋本宗吉卒、亨年74歳。

             緒方洪庵、中耕介をともない長崎修行

1838(天保 9)年 緒方洪庵、適塾開く。

 

橋本宗吉絲漢堂跡(大阪市中央区南船場)

 

 

 

2021.10.14

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