大河ドラマ「青天を衝け」。

栄一は、改正掛として大阪の造幣局に来た。

このときに出逢った女性と、生涯ともに暮

らす。かの女の名前は大内くに。

 

第30回「青天を衝け」と渋沢栄一

ときは明治4(1891)年

大阪造幣局に出張した栄一(吉沢亮)は、新し

く流通させる硬貨を確認し、五代友厚(ディー

ン・フジオカ)や三井組の番頭・三野村利左衛

門(イッセ尾形)と再会する。

 

このとき、三井の歓迎の宴に参加し、仲居の女

性、大内くに(仁村沙和)と逢い、生涯をとも

にすることになる。

 

 

 

栄一と千代「子ども」

渋沢栄一(1840ー1931)は、17歳のときに

尾高千代と結婚する。

従妹でひとつ年上の千代は、文久3(1861)年

に長女・歌子が誕生。

慶応2(1866)年一橋慶喜が将軍になり幕臣と

なった栄一は、欧州留学の徳川昭武に随行する。

このため、千代の弟・尾高平九郎を見立て養子に

するが、戊辰戦争で明治元(1868)年に亡くす。

 

栄一は6年ぶりに血洗島に帰郷。明治2年29歳

の栄一は駿府紺屋町に商法会所を開き、頭取に

就任し、3月妻子との駿府での生活を始める。

明治3年2月二女琴子誕生する。

同年11月富岡製糸場事務主任となる。

明治4(1871)年井上馨と栄一は銀行制度の創

設草案を編纂中、同年明治4年11月22日、父・

市郎右衛門逝く。

同年12月に栄一(31歳)、千代(40歳)、歌子

(10歳)、琴子(1歳)の家族4人は神田小川町

裏神保小路に転居する。

 

栄一と大内くに「子ども」

明治4年の暮れ、東京の神田裏神保町の敷地

600坪の元旗本屋敷に引っ越し、翌年明治5

年10月長男・篤二が誕生、渋沢一家は喜びに

包まれる。ところが、今の社会では考えられ

ないことが起こる。

栄一は、大阪から大内くにという女性と栄一

とのあいだにできた娘・文子とともに連れて

現れ、新宅で、妻妾同居の生活を始める。

そして翌年明治6年に大内くには二人目の子

・てるを神保町の自宅で出産する。

 

栄一と大内くに、渋沢千代

大阪から連れてきた大内くにのことは詳細

不明。ただ幕末のとき、高倉寿子(最高級

の女官)の女官となり、明治2年の東京遷都

に伴い京都から主人と一緒に東京に来た経歴

があり、これ以上はわからない。

どのような経緯で妻妾同居暮らしになったか

もわからないが。

当時の時代というのは、天皇はじめ、政府の

役人などにあっては、正妻(第一夫人)の管

轄下におかれていれば、暗黙のうちに容認さ

れており、渋沢栄一や妻・千代には、儒教の

戒律に照らしても、何ら不思議なことでなか

った。

経済の分野で近代的な道徳律の導入をはかっ

た渋沢は、この同居する家庭生活を恥じるこ

とは少しもなかった。

ちなみに大内くにの長女文子は、

尾高次郎(尾高惇忠次男)と結婚、二女・て

る子は千代の姉の子の大川平三郎(大川修三

の次男)と結婚する。

 

 

前列左から大内くに、てい(栄一の妹)、

千代(栄一の正妻)、尾高くに子(千代の妹)

 

渋沢千代と渋沢栄一

大正2年(1913)年。渋沢が74歳のとき

だった。

長女・歌子の求めに応じ、懐剣と書状の二

品を納めた箱の蓋に書を書く。

箱の表に「夜寒のあと」と記し、裏に和歌を記す。

消え残る 露の玉つき(玉章) 秋の霜

  すきし夜寒の あとをこそ見れ     栄一

 

長女・歌子は言う。父の壮年時代、今のような

家庭尊重という観念がなく、家も妻子もかえり

見ることなく、時勢のなかで生きた父もそのひ

とりと。

家庭の人でなかったというと、非常に冷淡に聞

こえるが、父は愛情も温情も非常に深いひとだ

った。と、父のことを語る。

 

渋沢栄一と渋沢兼子

再婚後栄一は、創設にかかわった東京女学館長

(大正13年・1924年)、日本女子大学長(昭

和6年・1931年)になり、渋沢は講演で婦道説

を語っていた。

このとき言葉弱く、『わたくしのしたことは、

論語の明眸皓歯に関することを除いては俯仰天

地に恥じることは何ひとつない』と美人を除い

てはやましいところなく、只その一つが例外だ

と首をすくめて偽りなく言うところが渋沢ら

しかった。

 

渋沢は、生涯論語を愛し、論語の文献を集め、

購読会を開き、儒教論理を説いていた。妻・

兼子は、妾宅をもっていた栄一を評して「お

父さんも論語とはうまいものを見つけなさっ

たよ。あれが聖書だったら、てんで守れっこ

ないものね」と言う。

キリスト教には、姦淫が禁じられているが、

論語には、女性に対する戒めは無く、女性関

係で脛にきずをもつ渋沢だが、女子教育に熱

心だった。

 

 

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