ー中山忠光ー

孝明天皇の義弟で明治天皇の叔父の

中山忠光。

忠能(ただやす)の子・中山慶子が

孝明天皇の后になり、明治天皇(18

52-1911)は中山忠能(忠光の父)

の屋敷で誕生、明治天皇(祐宮)より

7歳上で共に過ごす。

 

       │─中山忠光

中山忠能ーーー│       

       │

       │─中山慶子

          |          

           ──明治天皇

          |

        孝明天皇

 

ー中山忠光と「天誅組の乱」ー

アメリカのペリー提督率いる黒船4隻が

開港を求め横浜に嘉永6(1853)年6月

3日に来航。

以後国内は攘夷に湧き、尊王攘夷運動が

高まり国内は混迷し、10年後の文久3(

1863)年に攘夷派の公卿らが朝廷から追

放される事件、「8月18日の政変」が起

こる。

 

その前日に世にと呼ばれる「天誅

組の変」が大和五條で起こる。

 

 

金剛山から千早峠越えてはいる五條市

 

文久3(1863)年朝廷は孝明天皇の

大和行幸を決める。

これに呼応し、大和行幸の警護という

名目で侍従・中山忠光(19歳)は、吉

村寅太郎(土佐浪士)ら38名と京都方

広寺を発ち、伏見・天保山・堺港・観

心寺、千早峠を越え大和五條に向かう。

 

午後4時大和五條に進軍した天誅組は、

五條代官所に火を放ち急襲。

天誅組は本陣にした桜井寺に「五條御

政府」の看板を掲げ、約8万石の所領

を朝廷直轄地とし、五條御政府と名乗

る。

ところが、襲撃の翌日19日京都から早

駕籠が来、大和行幸が中止になったと

いう。

 

 

幕府五條代官所跡の五條市役所(奈良県五條市本町1丁目1-1)

 

<天誅組壊滅と中山忠光>

天誅組一行は反乱軍となり、目的と支

援がなく、幕府の追撃を受け9月24日

鷲塚口(奈良県吉野村)で、大規模な

包囲網に捕捉され天誅組は壊滅する。

このとき忠光は幕府軍の包囲網から抜

け脱出し、大坂を経て長州に逃れる。

 

<長州藩と中山忠光>

翌年元治元(1864)年7月20日、天

誅組の水郡善之祐、辻幾之助ら30数

名が処刑される。

一方長州に逃れた中山忠光。

長州藩は忠光の身柄を支藩の長府藩に

預けて保護する。ところが、長州藩は

禁門の変、下関(馬関)戦争と相次い

で敗れ、征長軍(第一次長州征伐)が

広島に終結する

と、藩内俗論派が台頭し、尊攘派を粛

正し、元治元(1864)年11月15日征

長軍に全面降伏する。

 

こうしたなか長州藩は忠光暗殺を実行

する。11月8日夜、長州藩は数人の刺

客を田耕村に送り込み、村人には殺害

の協力を命じ、庄屋・山田幸八が忠光

を誘いだし、5人の刺客が忠光を謀殺、

遺体は村人たちが30㎞余り離れた綾羅

木海岸(現下関)に仮埋葬して隠す。

 

(中山忠光と恩地冨美)

中山忠光(1845-1864)は現地下関

の商人・恩地与兵衛の娘・冨美を侍女と

し、懐妊した冨美(22歳)と田耕村で身

をよせていた。

 

恩地冨美(1846-1903)は忠光謀殺の

翌日11月9日長府藩士の屋敷に軟禁され

る。

その1ヶ月後高杉晋作が挙兵、それに諸隊

が呼応し、翌年慶応元(1865)年3月に

再び長州藩は尊攘派が主導し、倒幕を決定

する。

 

(中山忠光と中山神社)

時勢は急転、忠光を独断で暗殺した長州藩

は、事実隠蔽に務め刺客は抹殺、田耕村民

には箝口令をしく。

その後数十年、忠光の亡霊に脅える。

忠光の柩を運んだものの一人は、まもなく

自殺、忠光を誘いだした庄屋の山田幸八は

発狂し、明治4(1871)年4月吐血し果て

、家系も絶える。

 

忠光が謀殺された田では耕作に使った牛が

病死、その田の持ち主の家は火事で焼け、

家人は疫病にかかる。

そこで祠を建てて忠光の霊を祀る。

これが現在の豊北町の本宮中山神社である。

また遺体を埋めた綾羅木には、一周忌の慶

応元(1865)年1月長州藩が鎮魂のために

中山社を建てる。

これが現在の下関市の中山神社である。

 

 

 

(中山南加)

忠光死後慶応元年(1865)年5月10日に

恩地冨美は女児を出産し、南加と命名。

中山南加(1865-1950)は生まれて間

もなく騎兵隊に保護され、毛利元徳の養女

として大名行列を組み、数百両の持参金を

付け、東京の中山家に送り届けられる。

このとき明治天皇従姉妹の南加は19歳、

のちに公爵・嵯峨公勝に嫁ぐ。

 

(嵯峨浩)

中山家に入り嵯峨家に嫁いだ嵯峨南加は、

浩を誕生。

冨美の孫娘・浩は、満州国皇帝・愛新覚

羅溥儀の弟の愛新覚羅溥傑に嫁ぐ。

昭和20(1945)年敗戦による混乱で、

女児を抱えて大陸を放浪のすえ、帰国。

のち浩のその娘・慧生(えいせい)は学

習院の学友とピストル心中する(天城山

心中)。

天誅組の乱の中山忠光。忠光は冨美、南

加、浩そして慧生の数奇な女性の悲劇の

ドラマを生む。

その彼女たちの霊は中山神社の境内に建

てられた摂社・愛新覚羅社に祀られる。

 

         恩地冨美

             │

             │ー南加ー浩(愛新覚羅)ー慧生

             │

       │─中山忠光

中山忠能ー│       

       │

       │─中山慶子

          |          

          │──明治天皇

          |

        孝明天皇

            

 

 

2021.3.15

渋沢栄一と「論語(男と女)」ー男と女の物語(108)

2021.3.20

青天を衝け(嫉妬「大奥」)ー男と女の物語(112)

2021.3.22

渋沢栄一と妻(「夜寒のあと」)ー男と女の物語(113)

2021.5.8

「江戸生艶気樺焼」(山東京伝作・画)ー男と女の物語(131)