堺の今井宗久。

古来名誉の人物のひとりとして、名

勝案内「和泉名所案内」(寛政8年)

に掲載される。

 

今井宗久(いまいそうきゅう)は堺

ノ津の人。

永禄8(1565)年、茶器を平信長に

献じ、又、『太閤記』に天正6(15

78)年に茶を献ずると記される。

 

また、秀吉公が、洛の北の茶会を催

す時、摂津茶道家の珍器を座間に置

き、今井宗久が秘蔵の茶具、第四番

となる(天正13年)。

と「和泉名所案内」に記される。

 

 

「和泉名所図会」(1796年刊行)の今井宗久

 

「和泉名所図会」の挿入された絵に

は、「豊太閤、堺の名器を聚(あつ

め)させ給ひ小野大茶湯の時、置さ

らせるふ。今井宗久が珍器、第四番

となるとぞ聞くし」とある。

 

 

堺の名器と今井宗久

以下「和泉名所図会」による。

当津には、古来より、天下に名高き

珍器多し。

然れども、世遠く、時去りて、諸国

へ散在して、他の家の有となるもの

もあり、旧記によりこゝ記す。

永禄8(1565)年、信長公へ献上の

茶器。

○松嶋葉茶壺 今井宗久

○菓子絵    紹鴎

天正13(1591)年、秀吉公の命に

よって、洛陽北野町大茶湯の時、当

津より多く茶器を持参して、その席

に飾りける。

先ず秀吉公の御宝器を初メに飾て、

第一番とす。此器、こゝに記さず。

○第二番  千利休 賜ふ三千石 

烏丸香炉他

○第三番  天王寺屋宗及 賜ふ

三千石 枯木他 

○第四番  納屋宗久 月絵 松

花 頭巾茶碗

此時、秀吉公の御手前にて、国主

の諸侯方へ御茶を賜はる。

などと記される。

 

堺の今井宗久

堺の豪商今井宗久(1520ー1593)。

初め大和今井に住み、堺に出る。

 

堺の今井屋敷

堺の今井屋敷は宿院頓宮の東にあり。

宿院頓宮は開口神社(大寺)の南に

約100m(1里)、住吉大社(摂津)

の頓宮(御旅所)。

 

 

宿院の頓宮(左下いひがい池)とその周辺

 

今井宗久は、堺で納屋業(倉庫業)

のほか、鉄砲・火薬などを商い、

巨富を得る。

家業は堺の納屋衆のなかでも最高

の財力を誇る。

堺では茶を武野紹鴎に学び、大徳

寺僧に参じて寿林宗久・昨夢齋の

号を授かる。

のち武野紹鷗の娘婿となる。

 

 

 今井屋敷跡(大阪府堺市宿院東3-1)

 

天下三宗匠(他千利休・津田宗久)

のひとり。

織田信長に紹鴎伝来の名物茶器(

松嶋の茶壷)を献上し、堺五ヶ荘の

代官、茶頭(さどう)なり、多くの

利権を得る。

のち豊臣秀吉にも茶頭としてつかえ、

茶会記「今井宗久茶湯書抜」あり。

 

今井宗久・宗薫

其子宗薫(そうくん)、相続いて茶

道をよくす。

父子、ただに、茶道をよくするのみ

にあらず、時に臨んで、間(まゝ)

忠節あり。故に、所領千三百石を給

ふ。

 

今井屋敷跡・説明板

 

 

今井宗久、文禄2(1593)年

8月5日卒、享年74歳。

 

 

文久3年の堺の地図      

 

 

 

今井屋敷跡と宿院頓宮(左上)

 

今井宗久。

今井宗久は2020年10月11日の

大河ドラマ「麒麟がくる」(「宗久

の約束」)にて、京へ上洛の信長と

宗久が対面する場面で登場する。

 

 

 

 

 

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