大阪の今宮戎神社(浪速区)といえば、

十日戎。

「商売繁盛、笹もってこい」の声が境内

に響き、毎年100万人を越える参詣者で

賑わう。

 

 

 

 

今宮戎神社と「クボタ」

今宮戎神社は、四天王寺の西の守り

神として創建され、四天王寺の西、

難波の南、新世界の北西にある。

 

 

 

           今宮戎神社(大阪市浪速区恵美須西1丁目6-10)

 

今宮戎神社の南の鳥居には「クボタ」

とあり、神社の境内奥の北側にふたつ

の燈籠があり、このひとつ(右側)が

クボタに関係する。

 

 

右側の灯篭には説明板がある。

 

 

燈籠は、久保田鉄工所の創業者久保

田権四郎の寄贈によるもので、久保

田権四郎は、今宮戎神社の北西に久

保田鉄工所を創業し、現在は久保田

の本社になっている。

 

 

南海本線西側の久保田本社(大阪市浪速区敷津東1-2ー17)

 

広田保育所と徳風学校跡

今宮戎神社の北門(燈籠付近)側に

は、道を挟んで、広田保育所があり、

ここが、かつて徳風学校があった地

である。

 

 

           広田保育所(大阪市浪速区日本橋西2丁目)

 

保育所の塀に「徳風学校跡」の説明

があり、以下これを要約する。

 

 

 

明治以後、近代産業が起こる一方、

都市に貧困層ができ、その子どもた

ちが教育を受けられず、この救済の

ために、篤志家、慈善団体により、

徳風・有隣・愛染橋などの学校が設

立される。

徳風学校は、当時の南区浪速警察署

長・天野時三郎の発意を受けて、久

保田鉄工の創業者・久保田権四郎が

学校経営費を拠出し、明治44(191

1)年に開校される。

校名は『論語』の「君子の徳は風、

小人の徳は草」に由来し、当初、授

業は夜間に行われる。

のち大正2(1913)年から昼間部を

置き、大正11年に大阪市に移管され、

市立徳風尋常小学校となる。

 

 

「徳風尋常小学校通学区域図」(大正12年作成)

 

この通学区域図の黄色着色部分は、

大阪で、最初に米騒動(大正7年)

が発生した地域である。

徳風小学校は昭和13(1938)年

に西成区萩の茶屋に移転し、大空

襲の被害で昭和21年に萩の茶屋小

学校に統合される。

 

 

大阪市地図(戦災焼失区域明示・朱色、昭和21年・1946年)

 

今宮戎神社界隈。

明治に久保田鉄工所が創業され、

徳風学校ができ、大正の頃に米騒

動があり、昭和の大戦で大阪空襲

の被災にあう。

来年の正月、今宮戎神社では、三

日間、十日戎(9日-11日)があり、

南海本線沿い一帯、出店がたくさん

並び、大勢の参詣客で賑わう。

 

 

 

 

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