古い大阪のミナミの地図。

大正時代の頃の通学区域地図を見たとき、

川があり、また鉄道も敷かれている。

今は無いものもあり、いったいその頃、

大阪のミナミは、どうだったのかと思う。

 

徳風校跡

地図に「徳風校」が記されている。

この学校は、明治に不就学児童を対象とし、

大正11年まで地域のひとにより夜学校(19

11-1922)を開設し、のちに大阪市の直営

になる。

地図は、「大阪市立徳風尋常小学校通学区

域図」で、大正12年、1923年に作成され

ている。

 

 

地図の朱色部分が徳風校

 

天王寺駅から、この地図をもとに、当時と

重ねて、徳風学校跡に向かう。

 

谷町筋と市電

谷町筋は、かつて市電が走り、その分離帯

跡がみられ、現在、この地下を谷町線が通る。

 

 

 

 

国道25号線と阪神高速(南北)

四天王寺付近で西に折れると、国道25線。

この広い坂道をくだってゆく。天王寺動

物園の北側で、南北の阪神高速環状線の

高架がある。

 

 

 

地図では、「高津入堀川」(こうづいりほりが

わ)とあり、高津入堀川は、これより北に位置

し、江戸時代に西高津新地の開発に伴って開削

される。

 

道頓堀川の下大和橋から南へ分岐し、国道25号

線の手前で西へ、南海本線を潜ってすぐ北へ向

きを変え、浪速区役所の南東で、難波入堀川・

鼬(いたち)川と合流していた。

 

開削された入堀は、汚濁が激しく不衛生で明治

にはいり、難波入堀川と凍結され、いたち川ま

で開削される。

 

高津入堀川と高速道路(東西)

浪速区を東西に流れていた運河。

開削延長後、上流を高津入堀川、下流をいた

ち川と改められる。

地図の徳風学校前の東西の川は、「高津入堀

川」と記される。

 

 

阪神高速環状線は、用地確保が難しく、昭和

30年代後半に高津入堀川・難波入堀川はじめ、

大阪の水路の上を利用して建設される。

 

 

 

徳風学校跡と広田保育所

南海電車本線(今宮戎駅)の北東、高速道路

(東西)北の位置に広田保育所があり、ここ

が徳風学校跡になる。

 

 

広田保育所と徳風小学校跡

広田保育所の塀には、徳風小学校跡の説明が

ある。

 

 

徳風小学校跡と廣田神社

徳風小学校は、大阪市の直営として1922年に

開校。

鼬川(いたちがわ)は、江戸時代に茶臼山古墳

から廣田神社の脇ををかすめ西に流れ、難波村

と木津村の境界をなし、現在の浪速区木津川2

丁目の東で合流する。

 

 

大正時代の学区地図を通して、川が埋められ

高速道路となり、道路拡張のため、市電がな

くなり、また、残っている鉄道もあり、今に

至る時代のうつり変わりを知る。

 

 

 

 

 

2019.11.17

秋の大阪ー南の恵美須(今宮戎)、北の網島(太閤園)ー新大阪物語(704)