画家・竹久夢二と大阪の「滑稽新聞」。

竹久夢二は、大正ロマンの画家として知られ、

大阪の新聞にも挿絵を投稿していた。

 

ー「滑稽新聞」(宮武外骨)の表紙・挿絵ー

ジャーナリストの宮武外骨(1867ー1955)。

宮武外骨は、大阪で、雑誌「滑稽新聞」を発行する。

滑稽新聞は、月2回発行し、刊癪(怒り)を縦糸、色気を横糸とし、

過激にして愛嬌を編集のモットーとし、これが人気となる。

この雑誌は、1901年から1908年まで、8年つづき173号で廃刊となる。

雑誌の色気に表紙・挿絵で花を添えたのが、

墨池亭黒坊など、かつての浮世絵師たちである。

 

 

ー竹久夢二と「滑稽新聞」ー

大正ロマン画家として知られる竹久夢二(1884-1934)。

夢二も「滑稽新聞」寄稿の絵師のひとりであった。

滑稽新聞に挿絵を投稿している。

 

 

                    竹久夢二画(滑稽新聞社発行)

 

ー雑誌「天下茶屋」(宮武外骨)と聖天山南ー

宮武外骨は、大阪に16年在住。

聖天山南を最後に大阪を離れる。

聖天山は、高さ15mの低山で、大阪5低山のひとつで、

頂上に正圓寺(1723年創建、別称・天下茶屋聖天)がある。

外骨は大正3年9月から大正4年夏まで、聖天山南に在住する。

聖天山転居を知らせる外骨のハガキ。

人生の行路難は小生をして又も左記の地に

轉徒せしめ候也 

大正3年9月5日

大坂城外 天下茶屋 聖天山南  宮武外骨

この間、雑誌「天下茶屋」(大正3年12月)を発行する。

雑誌「天下茶屋」の発行住所は

大阪府東成郡天王寺村第1393番地(即聖天山南)

と記される。

 

 

ー竹久夢二と大阪(西成)ー

聖天山南から西成図書館(西成区役所横)にゆく。

西成図書館で、宮武外骨が居とする聖天山南の番地を知る。

西成の史跡(松乃木神社、安養寺)は、竹久夢二が

描いた絵の「小春・治兵衛」(大正5年)とゆかりがある。

 

 

             近松門左衛門「心中天網島」の小春と治兵衛

 

宮武外骨ではないが、夢二の絵噺に色気をそえるが、

夢二にしては、珍しい裸体画(ポスター)がある。

 

 

宮武外骨は、聖天山南から東京に転居したのち、

東京帝国大学内に、明治雑誌新聞文庫など創設し、

書誌収集で功績を残し、昭和30(1955)年、東京で亡くなる。

 

 

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