大阪の聖天山は、あべのハルカスの南
の松虫通沿いにある大阪五低山のひと
つで、古墳であった。
正圓寺境内がある聖天山にゆく。
ー松虫塚(松虫通)ー
聖天山南の松虫通りは、阿部野と西成
のふたつの区にまたがり、西側の聖天
山にゆく途中に松虫塚がある。
熊野街道の近くにある松虫塚(大阪市阿倍野区松虫通)
昔から上町台地の上に古墳や塚がつくら
れることが、多かったという。
旅人が、松虫の声に聞き入り、命絶えた
ことを哀れんで供養された松虫塚で、古
くから芸能を修めるひとに尊崇されている。
ー聖天山の正圓寺ー
聖天山の天下茶屋聖天。
天下茶屋の聖天山正圓寺(大阪市阿倍野区松虫通3丁目8)
高さ14mの聖天山には、本堂前に聖天山
山頂の碑がある。
境内はいる石段横に、本尊の大聖歓喜天、
吉田兼好法師隠棲址、兼好法師箕打石碑
がある。
境内西の手洗い鉢は、茶道の武野
紹鴎(千利休の師)が天神の森に
居し、ゆかりある寺に残したもの
と伝えられている。
ー聖天山正圓寺縁起ー
聖天山縁起によると、江戸時代の元禄期
に義堂見明和尚が、東方5町阿倍野村の
阿倍野寺の一坊をこの聖天山に移し、堂
宇を建立している。
当時、この地は、西海(大阪湾)を望み、
樹木が生い茂り景勝の地であったという。
(山号・海照山、寺号・正圓寺に改称)
その後、聖天堂などができ(1723年)、
天下茶屋の聖天という別称で知られるよ
うになる。
ところで、大阪で雑誌・新聞を発行した
宮武外骨は、大正3年9月から大正4年夏
まで、聖天山南で居する。
聖天山から天神の森方面にゆく。
2019.9.27