戦後の闇の世界の神様であった
山口組長田岡一雄。
この三代目組長の首領(ドン)
田岡一雄に報復の狙
撃をはかった組長が吉田芳幸で、
その後吉田は女性によりかわったという
 
吉田芳弘・芳幸(兄弟)と大阪戦争
大阪の吉田芳弘。
吉田芳弘の女(豊中市)が尾行
される。結果彼も居所がわかり、
山口系佐々木組員3人に暗殺され
る。(1976.10.3)
これが、この事件の契機となる。
吉田芳弘は、西成の愚連隊を集め、
「大日本正義団」(松田組系)を
組織し、松田組の幹部であった。
暗殺された芳弘の弟が吉田芳幸(
二代目)。
当時、松田組の組長樫忠義は、
代松田雪重(1969年6月死亡)の
甥で、二代目になる。
これを契機に3年間、大阪を舞台
松田組と山口組の抗争事件が起
こる。
 
ベラミ事件と吉田芳幸・鳴海清「報復」
山口三代目組長田岡一雄が京都
三条のナイトクラブ「ベラミ」
で狙撃される。(1977年)
狙撃したのは、吉田の組員鳴海
清(22歳)。
吉田はベラミ(京都三条)に
をホステスに送りこみ、田岡
会長の行動パターンを掴ませ、
鳴海は、ベラミにこれまで数十
回通っていた。
昭和53(1978)年7月11日、
午後9時25分首領(ドン)を
撃った。
ところが、田岡一雄は一命をと
りとめ、事件後、鳴海清と吉田
芳幸は姿をかくす。
 
鳴海清
同年1ヶ月後、昭和53(1978)
年9月17日。
鳴海清は六甲山中で腐らん死体
となり発見された。
赤外線カメラにより天女の刺青
があり、鳴海清と判明される。
お守り袋の中からの長男(4歳)
と前年に生まれた長女の写真、
長(吉田芳弘)の遺骨がでて
きた。
しかし海殺害事件は、真犯人
がわからぬまま、平成5(199
3)年、時効をむかえる。
 
吉田芳幸と女性「平穏」
吉田芳幸は、3ヶ月後の10月に
神戸で警察に逮捕される。
5年間独房生活をおくり、
後、6年ぶりに韓国に渡る。
再会した韓国人女性、李宝倍(
吉田美宝子)は、クリスチャン
で、吉田の子を産み育てていた。
帰国後、かれの人生は大きくか
わる。
「神は、弱いものが頼るものだ」
と妻に暴力を振るっていたが、
何をやってもうまくゆかないなか、
妻が神に祈るとうまくゆくこと
体験し、「彼女は神様の声が聞こ
える」とおもえてくる。
かれは、「平穏な暮らしをした
」と、46歳のときキリスト教の
者となり暴力団を辞めた。
その後、不動産業をはじめ、リ
ゾート開発などをてがける。
あらゆる悪に手をそめたことを悔い
1993年に聖書研究会(ヤクザ・
フエローシップ)を発足させる。
ミッション・バラバという伝道団
体で、新約聖書に死刑がきまった
バラバにかわりイエスが罪を受け
るが、彼はバラバに自分の姿を
さねている。
イエスを信じたら、みんなも、自
分を信じてくれるようになったと
いう。
 
あれから42年。暴力団をとりま
く状況は大きくかわる。
ヤクザのときは、自分の力や金が
すべてだった。
ところが、彼女と一緒にいると、
穏やかな気持ちになれ、平穏な
暮らしを望むようにかわったと
いう。
現在、ミッション・バラバの
ンバーとして、リスト教の牧
師、信徒代表の長老として、
大阪市の「ベタチャーチ」をは
じめ、世界各国で伝道をつづけ
ている。
 
松田雪重顕彰之碑と松乃木神社
吉田芳幸の兄吉田芳弘は、西成
にて「大日本正義団」を創建
る。
西成の松乃木神社境内には、
師如来堂の松田雪重顕彰之碑
がある。
松田雪重(松田組初代会長)は、
大阪戦争(昭和52・53年)のと
きの組長・松田組長樫忠義の叔父
になる。
顕彰碑には、「昭和32年11月吉
日」、「修築記念」、「総本山四
天王寺管長常順書」とあり、飛田
新地が出来る以前に建てられ
乃木神社は、昭和32(1957)年
に改築されている。
 
 
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      松田雪重顕彰之碑の松乃木神社(大阪市西成区太子2-3)

 
 
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2019.6.3