6月2日 「本能寺の変」があった日 まつわることを3つのテーマで書いてみた | トラベルライター・歴史研究家・英語/ドイツ語トレーナー 山内一輝のブログ

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トラベルライターとして、歴史・旅行に関する執筆・講演活動をしている山内一輝(山内かずてる)のブログ。個人事業主向けにプロフィール・個人活動冊子の文章作成も手掛けています。英語・ドイツ語を教えていた経験あり。国内外問わず、城や古い街並みを巡るのが好き。

※現在の本能寺 本能寺の変当時の場所とは異なります

 

 

今年の大河ドラマが、

明智光秀なので、今日はそのことを少し。

というのも、本能寺の変があったのが、陰暦で天正10(1982)年6月2日未明だったからです。

 

その本能寺の変について、3つのテーマで書きたいと思います。

 

Q:何故6月2日だったのか?

Q:何故信長は寺に100人程度の部下とともに寺に泊まったのか?

Q:本能寺の変の動機は何なのか?

 

 

Q:何故6月2日だったのか?

 

光秀は1日(朔日)の夜に、丹波亀山(現亀岡)を出て、

京都の本能寺に滞在していた信長を討ちに行った訳です。

 

陰暦の1日から2日未明ということは、新月の晩。

月明かりもない、真っ暗な夜です。

そんな中、1万以上の大軍を動かしても、気付かれにくい、絶好の襲撃日和(?)な訳です。

 

 

 

Q:何故、信長は本能寺に泊まっていたのか?

 

このころ、信長の東側の領土はだいぶ落ち着き、重点が西側に置かれます。

中国地方では秀吉が毛利氏を攻めていましたし、

四国地方へは三男の信孝が長宗我部氏を攻める準備をしていました。

そのため、近畿に来ていた、という事情はあります。

 

この晩に、信長が泊まっているのが本能寺。

「寺」に何で泊まっているの?と思うかも知れませんが、

当時のお寺は、ちょっとした城砦と何ら変わらないレベルの防衛施設だったのです。

 

流石に1万以上のの大軍を防ぐのは無茶ですが、

ちょっとやそっとの軍勢相手であれば、防ごうと思えば防げるものなのです。

 

ただ、それにしても、信長の手勢はせいぜい100人程度。

光秀が近畿周辺の信長の軍勢を仕切っていましたから、「無防備」だった、というのはあります。

 

もちろん、その軍団を仕切っていた光秀に襲われては、信長も打つ手なし。

信長は光秀の襲撃を受けて、自害をします。

 

 

 

Q:何故、光秀は信長を討ったのか?

 

色々な説が出ていますが、正直、わかりません。

陰謀に関わる話は史料に残りにくい話ですから。

この後、光秀が秀吉に討たれる訳ですので、「敗者」の記録は残りにくいのです。

仮に個人的な動機だけから討ったとすれば、なおのこと史料には残りません。

 

朝廷をも超える権力を持ちつつあった信長を光秀に討たせたとか、

そういった権力関係の中で起こった事件だ、という見方は比較的穏当なのかも知れません。

 

ただ、このことで、長年腑に落ちないことがあるんです。

というのも、光秀を討ちに来た秀吉が異常な速さで近畿に戻ってきているのです。

 

※石清水八幡宮から淀川を挟んだ向こうが山崎・天王山方面


ここで光秀と秀吉が対峙します。

 

本能寺の変の当時秀吉がいたのが、岡山の備中高松城。

京都まで200キロ以上離れています。

 

しかし、陰暦の6月5日に撤退開始。

たった8日後の6月13日には、京都まで目と鼻の先の天王山まで戻ってきているのです。

 

当時の行軍速度で、1日20キロだとしても相当速いのですが、

街道の整備されていない時代に、この200キロ以上を10日もかからずに行軍したとなると、

相当異常なことなのです。

 

根拠は全くありませんが、光秀が実行犯だったというだけで、ひょっとして秀吉が裏で糸を引いていたのでは?とも思えるのです。

少なくとも、本能寺の変があることを事前に知っていた可能性は非常に高いと疑っているのです。

 

何のために?と言われると、

結局、織田家内部の権力闘争なのか、

それとも公家・朝廷との力関係で信長を討つべしと言われたのか、

その辺りが結局は、絡んでいるのでは?と思いますがね。


 

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