最近の状況で思い出すんです。
「自己責任」という言葉の絶望的な冷たさを。
この言葉が使われるようになったのが、2004年の前半。
イラク戦争で、現地の武装勢力に、日本人が数名捕捉された状況でした。
その解放を巡り、「自己責任」ということで、
人質になった人たちを政府・マスコミともども激しく指弾していたようでした。
イラクに行った人たちは、ジャーナリストであったり、それなりに事情がある人もいたようです。
ちょうど折しも、私は日本にはおらず、ワーキングホリデイを使ってドイツにいました。
これは正直耳を疑いました。
え?仮にドイツで何かあったとしても、日本政府は外国にいる人を助ける気ないんだと。
比較的安全だとされるドイツにいました。実際に私の身に何かあった訳ではありません。
しかし、異国で独りでいた私には、確実にこたえる事件でした。
この後、結局日本に帰ることにしましたが、
この「自己責任」という言葉が常にのしかかる感じがあったのです。
2000年代なんて、男性は正社員じゃなければ、
就職の面接を受けに行っても人間扱いされませんでした。
帰国後の面接の時も、散々指弾されましたし、生きていて正直つらかったです。
結局、旅行会社で3年仕事をしましたが、身体を潰して辞めました。
その後は、非正規に甘んじていた所もあります。
というのも、四の五の言わずに、仕事がもらえるからです。
非正規であることで、「自己責任」だとのたまう御仁が多くいます。
今まで首をくくらずに生きてきたこと自体が不思議です。
そして、こんなおかしな制度から抜け出る制度なんて、どこにもないと絶望していましたから。
この国にいて長い間独りでした。
国や社会は助けてくれないんだと思っていました。
私のこの悩みを理解してくれる人が、身の回りにほとんどいませんでしたから。
今でこそ、私の身の周りには、私のことを助けてくれる人がいます。
そのことは感謝しかありません。
ただ、同時に、今あるコロナを巡る騒動を見ていて、怒りと恐怖を覚えるのです。
個人の努力だけでは、どうしようもできない状況なのに、
補償もなしに自粛だと口だけ出して、何かあったら自己責任という状況を野放しにしている。
そして、それに同調して自己責任を振りかざす人間。
2004年のあの時の恐怖を思い出しています。
ふとした時に涙が出そうになります。
今は多くの人の命がかかっている状況なのです。
そして、安心してしばらく籠れる状況が必要な人は、少なくないはずです。
何があっても助けようとせずに、自己責任で済まされる、
クソみたいな社会を終わらせたいのです。
そもそも自己責任で済まされるのであれば、国も社会も不要です。
私ができることって、言葉で訴えることくらいかもしれません。
でも、「自己責任」の冷たい言葉で、これ以上不幸になる人は増やしたくありません。
もっと人の命を大切にされる社会を私は望んでいます。
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