【長崎・出島】 日本とオランダの「甘い」関係 | トラベルライター・歴史研究家・英語/ドイツ語トレーナー 山内一輝のブログ

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トラベルライターとして、歴史・旅行に関する執筆・講演活動をしている山内一輝(山内かずてる)のブログ。個人事業主向けにプロフィール・個人活動冊子の文章作成も手掛けています。英語・ドイツ語を教えていた経験あり。国内外問わず、城や古い街並みを巡るのが好き。

 

 

江戸時代、長崎は外国人との窓口でした。

江戸時代に、日本にやってきた「オランダ人」が居住していたのが、この「出島」です。

 

 

近代になってから、長崎市内ではどんどん埋め立てられて、出島のあたりは完全に陸地になっていました。

現在では、かなり整備されて非常に絵になる風景になっています。

 

ちなみに、長崎に出入りしていた中国人は…

 

 

出島から東にある、新地中華街の辺りに居留していたようです。

 

 

出島も中華街も、人工的に埋め立てた島の上にあります。

何故ここまでやったのかというと、キリスト教との接触を避けるためという意味が強かったのでしょう。

 

 

 

江戸時代始めのオランダは、交易で稼いでいました。

彼らは現在のジャカルタ(インドネシア)を拠点に、アジアの交易を担っていました。
 
日本の窓口が、出島のオランダ商館・「カピタン邸宅」になります。
 

 
江戸時代でも始めの頃は…
 
(日) 銀  ⇔ (蘭) ベトナム産の絹織物
 
の交易が主力でした。
※ (蘭)=オランダ
 

その銀で、東南アジアの香辛料を買い付け欧州で売って稼いでいたようです。 

 

時代が下がるにつれて、銀の輸出を制限するようになったのと、絹の産地が増えたこともあって…

 

 

(日) 銅・陶器・漆器 ⇔ (蘭) 砂糖・香辛料・染料

 

と変わっていくのです。 

 

輸入の主力となった、砂糖は、九州各地の菓子作りに影響を与えたようです。

 

どうやら、長崎から小倉(福岡)にかけて「長崎街道」という街道があったのですが、この沿線では砂糖が結構流通していたようです。

天領の長崎、そして大村・佐賀・福岡・小倉の各藩では、このような多種多様な銘菓が生まれたのです。

 

 

輸出品を見ても、こと陶器については、伊万里・有田(佐賀)などの有名な産地も近いですしね。

その陶器がマイセンなど、ヨーロッパの陶器産業に影響を与えることになるのです。

 

江戸時代の長崎貿易は、交易の品を見ただけでもかなり面白い話なのですよ。

 

 

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