色々な「ワタシ」があってもいい | トラベルライター・歴史研究家・英語/ドイツ語トレーナー 山内一輝のブログ

トラベルライター・歴史研究家・英語/ドイツ語トレーナー 山内一輝のブログ

トラベルライターとして、歴史・旅行に関する執筆・講演活動をしている山内一輝(山内かずてる)のブログ。個人事業主向けにプロフィール・個人活動冊子の文章作成も手掛けています。英語・ドイツ語を教えていた経験あり。国内外問わず、城や古い街並みを巡るのが好き。

本来、人間は色々な面を持っているし、色々な能力がある。
実際、仕事にしてもその能力の一部しか使っていないことだって多々ある。

でも、今までの日本って、ホントにおかしかった。
何せ人生に一貫性を求めようとするのだから。

でも、そこまで一貫した人生を送れる人って、本当に楽しかったのだろうか?

色々な面を持っている人間にすれば、これはしんどいことのように思う。

それに、集中していたことに、ある時、途端に興味を失うことだってある。
例えば、私の場合だと、外国語についてもかなりの興味があったのだが、一時期ほどの熱意はない。

例えば、仕事として翻訳の仕事については受けることもあるだろうが、
ずっとやりたいとは思わない。


いや、それどころか、自分に何が向いているのか分からないのに、
最初に勤め出した会社で、ほぼ一生費やすということ自体が、
理不尽な上に、色々な面を持った人間の本性に合っていないのではないのか、と思うのだ。

だから、今までの一般的な「男性」としての生き方や、社会的な性としての「男性」を強要されることは、ずっと苦痛だった。

このこと自体は、昔から感じていた。
そして、何度となく話してきたことのように思う。


でも、自分の色々な面を使って生きていけばいいことが、最近になってようやく腑に落ちた。

今ここの一瞬ごとにやりたいことに集中すればいい。
休みたかったら休んだらいい。

それくらいシンプルな生き方でいいのだと氣付いた。

そのために、私は「表現」する。
隠れていたものをあらわにする。

表に出るもの、出ないものを問わず、しばらくは書いて書いて書きまくる。

そのことが、私が人を喜ばせる、最大の「贈り物」だと氣付いた。

英語では、才能のことを、贈り物と同じ「gift」という単語でも表現できる。
その人に与えられた「贈り物」
やっと「贈り物」のラップをはがすことができた。