違和感だらけの就活 | トラベルライター・歴史研究家・英語/ドイツ語トレーナー 山内一輝のブログ

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トラベルライターとして、歴史・旅行に関する執筆・講演活動をしている山内一輝(山内かずてる)のブログ。個人事業主向けにプロフィール・個人活動冊子の文章作成も手掛けています。英語・ドイツ語を教えていた経験あり。国内外問わず、城や古い街並みを巡るのが好き。

今年は就職活動に勤しむことになった。
体調を崩した結果、仕事を離れることになり、今も仕事を探しているところである。

就職活動が私は大の苦手だ。
そして、世間の会社と触れていると、違和感がありありで仕方がない。

何がかというと、
何故多くの企業がそこまで経歴の一貫性にこだわるのだろうか?ということ。

塾講師⇒旅行業⇒不動産業⇒旅行業
と遷移しているものだから、一貫していないと見なされていてもおかしくない。

仕事で無理をした結果、体調崩したりして、療養期間で間も空いていたりする。
それでも、容赦なくあらさがしをする。

その中でも、「伝える」ことというのが、自分の中で共通している部分であるのだが…
どうにも面接に行っても違和感しかない。

過去を聞き出して大事なのは、
「何ができるか?」ということくらいなのではないのだろうか。

最近感じるのは、
私が子どもの頃に、今まで聞いたこともない職業というのが今現在ですら存在している。

介護福祉士だとか、システムエンジニアだとか、グラフィックデザイナーだとか、Webライターだとか、
それこそYou Tuberだとか…

子どもの頃に言われてきたことと全く別のモノが求められる世の中になってしまっている。
ここ10年ですら、求められるスキルも、その要求レベルも大きく変わってきている。

例えば、英語だけで取ったとしても、
10年前であれば、Toeic730あったら、そこそこ良いレベルだった。
今となっては、それくらいの英語の使い手はたくさんいる。

おそらく、あとほんの数年ですら、別の新しい職業が出ていてもおかしくも何ともない。

未体験だったとしても、新しい分野の話であれば、
どうせ1から育てるなり、試行錯誤しないといけないのだから、なおのこと一貫性なんてどうでもいい。

新しい仕事が出ている状況なのに…と考えると違和感しかない。


まして、年齢で切るのは、意味がないどころか、
そんな事を未だにやっている会社は、差別を容認している会社だと言ってもいいと思う。


今までは、
長幼の差を前提に会社組織を組んでいたから、成り立っていた「差別」だ。

年下の上司/年上の部下を、どうやら嫌がっているようにしか思えない。

パッと思いつく理由としては…
1つは、長幼の差を前提にした組織やコミュニケーションの在り方しか知らないこと。
もう1つは、年功序列を前提にした給与体系しかないこと。


私は、有能だったら、年下の上司だろうが全然問題ないと思っている。

私が、年上の部下になったとしても、職務上の話だから全く問題ないと思っている。
だから、年功序列を前提にした年相応の給料をくれなんて言う気もない。暮らしていけるだけの平の給料だって構わないのだ。


世間一般と、私はどうやら違うらしい。

それくらい、世の中の流れが変わってきているのに、
就職活動だけは、旧態依然とした、誰も幸せにしない仕組みのままのように思う。


私が、会社勤めなんて向いていないのは重々承知。
それでも、食い扶持は必要だし、欲しいと思っている。

転職については、過去の話は、「何ができるのか?」だけで十分だと思うのだけれども、どうなんだろうか。