自分と向き合わなくてもいい | トラベルライター・歴史研究家・英語/ドイツ語トレーナー 山内一輝のブログ

トラベルライター・歴史研究家・英語/ドイツ語トレーナー 山内一輝のブログ

トラベルライターとして、歴史・旅行に関する執筆・講演活動をしている山内一輝(山内かずてる)のブログ。個人事業主向けにプロフィール・個人活動冊子の文章作成も手掛けています。英語・ドイツ語を教えていた経験あり。国内外問わず、城や古い街並みを巡るのが好き。

ここ2日くらい、心身とも不調だった。
不思議なことに、のんびりしているのに、「疲れた」感じがずっとあった。


ちょっと前までだったら、
心の中の掘り下げをすぐにするところだったのだが、一切、そんなの手放してみた。


最近だと、好きなことをやっていたら、「重い感情」というのが勝手に浮き上がってきて、
氣がついたら消えていることが、よくあるからだ。

もし、その感情が消えずとも、ちゃんと楽しんだことを感じて、心が満たされていけば、
心はそこそこ軽くなっていることを実感するようになったからだ。


実際、ここ3日間、ただ直感の声に従って、
近所を散歩したり、外で食事したり、ボードゲームしたり、眠たくなったら眠っていただけという。

その間、一切「見るべき」という声を無視した。


必要だと思ったら、心の中を感じて観察してみるのも良いとは思う。
ワタシも、やりたいと思って、かつ必要だと思ったらやるだろう。

けれども、「やらなきゃいけない」となっちゃうと、
どんなことであったとしても、ストレスになってしまう。

ワタシもそうだったのだけど、「完璧主義」のきらいのある人にとっては、
そこで無理してやってしまいがち。

…となると、余計にドツボにはまっていた、ワタシの過去。(苦笑)

ひょっとしたら、「べき」にはまりかけていたサインだったのでは、と感じた、今日の午後だった。