季節の変わり目は、体調の変調が多くなる。
私の周囲の人達も同じだ。
最近の気温の変動は、普通ではない。
真夏日の翌日は、急激に下がり寒くなったり・・・
そんな時に友人から温泉に行きたいし新緑も見たいから、付き合ってと。
以前何度も言った伊東温泉のゲストハウスへ行った。
そこは古民家を改装し、古き良き時代のままの旅館のままだった。
部屋は昔ながらの完全和室で、それも日本的志向が多く残している。
布団の中に入って天上を見上げると、濃い茶色の天井板が子供時代を思い出させた。
床の間やデザインされた障子、そして欄間は、親戚の金持ち家を思い出し少しリッチな気分を誘った。
今回は1階の部屋だったので、戸から外に出れるように下駄がおいてあった。
そこには老齢の松の木や草々が生え、すぐ傍に流れている川の音を聞いたり、飛んでくる鳥の声を聞いていると非日常感が増して気分がやすまった。
翌日は雨だったが、午後からの晴れの予報でユーカリの森に出かけた。
もう伊豆高原には何度も来ているので、頭に地図が出来上がっていた。
雨上がりのお陰で森の緑が生き生きとしていた。
誰もいない森閑な中を歩いて行った。
しばらく歩いて行くと、体調の変調を感じた。
全身の力が入らずに・・・両腕も重たい。
気づくと両手が異常に冷たかった。最近寒さに弱くなったので念のためにホッカイロを1つ持参して来た。
そのホッカイロを両手で持ち、手を温めながらの歩きだったのだが。
このまま歩くとまずいと思い、
その場に座り、甘いものを食べようとバッグの中を探すと頂いたチョコレートがありそれを食べた。
さらに飴を舐めながら歩きを始めた。
大きなユーカリの樹がなん本もあるのだが、最初に感動したユーカリのあの独特の匂いはしなかった。
ほんわかと柔らかな光に包まれているような優しい匂いなのに、それを感じられなかった。
前回も匂いには出会えず残念だったのだが。
大きなユーカリの傍まで行き、直に匂いをかいだ。
するとほんわかとその匂いを感じられたが、周りの空気全体を巻き込んでのあの匂いとは程遠いものだった。
ある場所でやすむために佇んでいると、友人が私にレイキをしてくれた。
彼女からやさしいエネルギーが入ってきた。
私は更にエネルギーが必要と思い、彼女の手を第二チャクラに移動させた。
第二チャクラにエネルギーが貯まってくると、上半身に気が巡る小周天がおこるのだが・・・
だがその小周天が周ろうとするのだが、左わき腹に固まりのようなものがあり背骨が真っ直ぐになっていないようで腰から上にエネルギーが上がろうとしない。
一週間前から左脇や左背中に痛みがあった。最近時々おこる痛みだった。
友人のエネルギーを補足するように、呼吸法を使って何度も腰から上にあげるようにした。
だが私の中で感じているヴィジョンは、
上半身が縮んでいる二分の一の自分がいて、更に腰も曲がっている。
エネルギーが流れてくるが、半分の自分の中でこじんまりとした小周天になってしまっていた。何とか腰を真っ直ぐにしょうとイメージの中の自分を修正しながら、小さくて曲がっている小周天を何度も繰り返し繰り返しおこなった。
すると一呼吸ごとに縮んでいる自分が、風船が膨らむように大きくなっていった。
十数回ほどで、ようやく等身大の自分になれた。
この不思議な感覚は初体験だった。
そして友人にもう大丈夫と言って、歩くのを開始した。
その翌日は晴れた。
伊東駅からバスに乗ったが、満員となった。ゴールデンウィーク明けの平日の日なのに・・・
当日の目的場所は一碧湖だった。
だが友人は、その先にある美術館も行きたいと言ったので最初だけ別行動となった。
私は先に降りて一碧湖に向かった。
太陽の明るい陽ざしを受けながら、誰もいない湖の遊歩道を歩き始めた。
湖の麓のカフェには、数人がいたのみだった。
すぐに新緑が太陽の光を浴びて燦々として姿に出会い、おもいっきり深呼吸をした。
木々に囲まれながら、水面のキラキラと輝く光景を見ていると、それだけで満たされた気分に。
鳥の鳴き声がそれに重なって、自然一人占めを満喫していると自分の居場所はやはり自然の中だと・・・
駅前でお弁当を買ったので食べる場所を探していると、広場に出た。
ベンチも湖に面してあったのでランチにした。
友人からメールがあり、ランチは先に食べていてと。
湖を見ながらのランチは嬉しい。
オムライスの弁当だったが、それなりの味であっても自然が味方してくれ、特別感を作り出してくれるものだ。
食べ終えると、友人が来た。
1人も良いが、連れがいるとまたその良さが増える。
とりとめのない会話であっても、気分が華やいでくる。
帰りの小田原で早目の夕食を一緒にと思っていたが、お互い疲れを感じ、そこでお別れにした。
最近は、行きはよいよい、帰りは怖い!
が現実となっている。
元気に行動できる時間が短くなってしまい、帰る時間にはすっかりと疲れてしまう。
楽しい旅の範囲がドンドンと狭くなってきている現実に、鏡に映る姿を受け入れる時だと認識が深まる。
気持ちは若くて、あそこも行きたい!あれもできる!が限りなく少なくなってきた。