模写・舞妓  778/1000


 外が酷い雨なのも手伝って
ミホ・ミュージアムの美術展の図録を
見ていました。
須田剋太の模写をしてみました。

須田剋太 1906-1990

本名は勝三郎。東京美術学校を受験するも4度失敗。その間にアトリエを持ち、画家になることを決心し憧れていた村山槐多にあやかり剋太(カツタ)と名乗るが、皆からコクタと呼ばれた為にこの名に定着。1936年に文展で初入選。1939年に新文展で特選。そのころに杉本健吉と出会い、東大寺観音院の土蔵をアトリエとして活動。戦後は杉本健吉を通して転石会と交流。長谷川三郎と出会い抽象画の道へ進む。1971年に司馬遼太郎の『街道をゆく』の挿絵を担当。1990年に逝去する。

剋太の芸術観
剋太は自らの言葉で芸術観を語っているが
それらの言葉は独特で難解な物が多い。

須田剋太の絵画や書にはスピードや迫力、力強さと重量感を感じる。
それを表現するには、彼の独特の難解な芸術観を理解しなくては表現できないかもしれないと…思うのです。


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